第一章 吠えろテラ!条理なき闘争に

第06話 愛なき男

わるもn

ドーム球場に隣接した遊園地の従業員通路は、観覧車やジェットコースターの間を縫うように延びているが、一般客からは目立たないよう高い塀で囲われた状態になっている。
とはいえ、塀の向こうの絶叫や笑い声はほとんどダイレクトに飛び込んでくるので、臨場感はそのままだ。


土曜日夕方の、若干アダルトさを増した遊園地の賑わいが、細い通路をスーツ姿で急ぐ男の心を妙にざわつかせる。

一般客の視界や動線を絶妙に避けながら園内にめぐらされた裏方たちの専用通路は、ちょっとした迷路のようでもあり、慣れない者はなかなか目的の場所までたどり着けない。

ジェットアクショングループのマネージャー米満薫が、レスリングで培った大きな体躯を前傾させて、通路を突進してゆく。
ネクタイが右に左にふり乱れるのもお構いなしだ。

汗ばむ季節はとうに過ぎたのに、額の汗は濃い眉毛を乗り越えて両の目に流れ込んでくる。それをぬぐうのさえ今はもどかしく、汗でしみる片目だけをカアと見開いたまま、米満は突き進んでいく。

いつになく険しい顔をしているが、従業員とすれ違うたびに律儀に頭を下げるところはいつも通りだ。早足は管理事務所が近づくにつれ、駆け足になった。

挨拶も早々に部屋の奥の、ヒーローショー専門劇場、『ヒーローパルテノン』支配人、山際宗明のデスクに向かう。


山際のデスクを囲むように並んだパイプ椅子には、舞台監督の名越。ショーの演出を任されている小山田。出演者の代表としてテラが座っていた。


「遅れてすいませんっ」

汗を飛び散らせながら上半身を勢いよく振り下ろす米満。

「大丈夫、大丈夫」

山際の言葉は、顔は米満の方に向いてはいるものの、誰に言っているのか分からない口ぶりだ

「まあでもね」

ひときわ大きな声をあげた山際が、手をもみほぐすようなしぐさをして言葉を続ける。

「お客さんに気づかれなかったのは不幸中の幸いだよ。事故が今日の最終公演だったのもラッキーだったね。朝イチの公演だったら、こんな話もできないわけだしさ」

“ラッキー”などという場違いな言葉をおかまいなしに使う山際を、一同がさほど気にしていないのは、この支配人が日頃このような口の利き方をしているからだろう。

「病院いってきたんでしょ。よねみっちゃん」

山際が眼鏡をずりあげた人差し指をそのまま米満に向けると、米満は頷いてから手帳をめくり、

「砂川は、意識は取り戻したんですけど、頸髄に軽い損傷が認められたって病院の先生が」

「まさか再起不能とか?」

米満は上半身を震わせるほど首を振って、また手帳に目を落として、

「回復の見込みはあるというふうに先生はおっしゃってます。療養が必要かと」

「こっちも療養したいぐらいよ。でも休めないもんなあ」

言いながら山際は席を立ち、一か月の予定を書き込む黒板まで歩みよって、「通常公演」と書き込まれたチョークの文字をすいすいと消してゆく。

「中止になりますか」

名越の問いかけには、もし中止ならば舞台監督としてすぐさま対応しようという心づもりが感じられる。

「なんで? 黒板が汚れてるから、書き直ししようと思っただけだけど」

いつもながらの山際のタイミング無視の行動には、慣れているはずの全員がため息をつく。

「まずは、明日の日曜日の公演をどうするかだよ。まだ中止の発表してないしねえ。もし明日やらないって言うんだったら、上にも言わなきゃいけないし。払い戻しとかもいろいろあるよなあ。さっきはツブテやってた子がとっさにレッドやったんだって? いっそのこと、その子にさあ」

代役をやってもらえば? の言葉を小山田が遮って、

「エンディングと、そのあとの握手会だけだったんでなんとか代役やれたんです。ショー全体を肩代わりするのは無理でしょう」

じゃあさ、と山際は間髪入れずに続ける。

「テレビの方のさ、レッドの中に入っている人、オタクの所属でしょ」

米満がそうです、と言うと、

「おんなじエクスチェイサーのピンチなんだから、ちょっと何とかしてもらえないもんかね」

つまり山際は、テレビ版のエクスチェイサーでレッドのコスチュームの中に入っている俳優に、ショーのレッドの代役を頼みたいと言っているのだ。誰もが言葉を返しあぐねる中で、米満が恐る恐る口を開く。

「本気でおっしゃってますか」

「こんな時に冗談なんか言うかよ」

少しむっとした様子の山際に、まるで子供にでも説明するような口調で米満は、

「スケジュールが。そもそもあっちの方がずっと忙しいんです。こっちは週末だけですけど、あっちはほとんど毎日撮影してますから」

「小仏さんだって、怪人役であっちに出てるんでしょ」

米満は、それはそうなんですけど、と言った後、

「女性役ができるクルーは貴重ですからね」

小仏は、こちらのショーの休演日などに、ドラマ版の助っ人をやっていることを山際も知っている。

山際は、でしょ、と勝ち誇ったように背もたれにのしかかると、

「テラさんだって時々助っ人に行くって言ってたじゃない?」

テラが、渋い顔で頷くと、

「この世界には持ちつ持たれつっていうのがあるよね。だよね。テレビで全国的に人気を獲得して、ショーで『僕と握手』って直接ファンと触れ合って、どっちもどっち、両輪? 両翼? もちつもたれつね」

妙に楽し気に言う山際に、米満はぐっと顔を近づけてねこなで声を出す。

「スケジュール的にも無理なんです。あっちに手助けに行くことはあっても、あっちがこっちに手を貸せる余裕はないんです」

「そうなの? 世知辛いね」

「代わりは何とか、うちの手持ちで」

持ってきたファイルブックを柔らかく机に置いて、丁寧にページをめくりはじめる米満。

山際は手を伸ばしてひょいとそのファイルを奪って、レッドレッド・・・とつぶやきながらファイルのページをめくっていく。ファイルには一ページにひとりずつ、所属タレントのプロフィールが記載されている。

一人のベテランのページで山際は手を止めた。腕組みをしてアルカイックスマイルを浮かべる男の上半身のポートレイトがある。

「彼は空いてないの? 何度かやってるもんね、助っ人も」

「今、撮影で中国に行ってるんですよ」

「中国ってのは、中国地方かな?」

誰もクスリともしない中、んなわけないわなと自分で受けながら、またファイルをめくって、手を止める。大柄の男が写真の中でこっちを見据えている。

「じゃあこの人は? 前なんの刑事もので、けっこういいアクションしてたよ」

「身体がその、すこしばかり大き目なものですから」

米満が申し訳なさげに身体を縮こまらせると、テラが、大き目なんてもんじゃないデカいんだよ、と言い捨てる。

「戦ってるうちに背中のチャックが全部開いちまう。レッドは脱皮なんかしないんで」

米満が付け加える。

「セフティの水戸よりでかいぐらいで」

それを聞いた山際は首をぶるぶるふりながらページをめくって、三十代ぐらいのTシャツ姿ではすに構えた茶髪男のページで手を止める。

「じゃあこの彼氏、身長は申し分ないでしょ。高くもなく低くもなく」

米満の顔が輝く。

「動けるほうですし、今撮影してるものもなかったような。さっそく確認します」

いそいそと携帯を出して、米満は助っ人候補のスケジュール確認をはじめた。

「いいね。今日、徹夜で練習して、明日の休演は無しでいけるね」

当事者たちの苦労など全く気になどしない山際の言葉よりも、テラには引っかかるものがあった。ひんまげた口を開く。

「この野郎、ヒーローものとか、特撮の事とか全然知らねえよな」

「いや。知らないんじゃなくて、知ろうとしてないだけです」

「はァ? そっちの方がよっぽど悪いだろうが」

テラは、フォローを入れた米満が、まるで当の茶髪男であるかのように怒鳴りつける。

「ありえませんね」

名越もいつになく憤慨した声をあげると、小山田も吐き捨てるように、

「根本的に愛がないってか」

米満が携帯の操作を止めるのを見て、山際もいつになく声を荒げる。

「おい、早く彼氏のスケジュール確認しなよ!」

米満が携帯を持っていた手を力なく下ろした。

「現場でぎくしゃくするのはまずいです。愛は大事です」

「ビジネスに生きるマネージャーが愛なんか語らないでほしいよ」

「愛は体現するものであって語るものじゃありません」

青臭さをあらわにする米満に、何言ってんだ、と吐き捨てる山際。にわかに不機嫌な面持ちになった劇場支配人を横目に、テラは分厚いファイルを持ち上げて、

「まったくなあ」

愉快そうにファイルを鉄アレイの様に上げ下げしてみせる。

「スケジュールがあって、身体能力があって、サイズがあって、愛があって、って野郎がなんでいないかねえ。こんなずっしりしてやがんのになあ」

「ほんっと役に立たないよねえ」

テラは山際の同調が気に食わないのか、ぎろりと睨みつけた。山際はそれに気づいているのかいないのか、

「しっかしさあ、なんで砂川ちゃんは、受け身がとれなくなるくらい冷静さを失ってたわけ?」

そんなことをさらっというのだった。

テラの表情が固まった。