テラはうっと詰まったように黙り込んでから、
「なんなんでしょうね」
あらぬ方向を向きながら、首をかしげる。
「プリンの蓋が落ちてたんだって? なんでそんなもんが。どっから落ちてきたのよ」
山際支配人の言葉にテラが押し黙っていると、小山田がもっともらしく口をはさんでくる。
「キャットウォークだったりしてな」
その言葉に、ほとんど全員が件の噂話を思い浮かべる。
「ああ」
山際がうんざりと声をあげる。
「〝怪人〟だっけ。なんかちょっと聞いたけど、なんなの」
皆の視線が名越に集まった。名越が座りなおして口を開く。
「一か月ぐらい前、ですかね・・・」
名越の口調はずいぶんとゆっくりしている。
「仕込みのとき、音響のチェックをするんで、周りで音を出さないようにするんです」
ひとつひとつ、記憶の映像を再生し、確認するかのように、
「建込みも稽古もやめて、音響セクション以外は休憩になって、おとなしくしてるんですけど。スピーカーのチェックしてる時に、スタッフが、なんか上の方から声みたいなのが聞こえてくるっていうんです」
「で」 といった後、また一旦言葉を区切る名越。
「いったん作業をやめたら、音はしなくなって。そのあとは順調だったんですけど、その日の終わりかなんかに、セフティの若いやつらが、そういう音は前から聞こえてたって」
「よくあるパターンだ」
わざとらしい大声の山際の茶々に名越は言葉を止める。
が、もう一度促されて、
「なんか公演の合間の休憩時間に、ふっと静かになった瞬間に、声というか、うめき声みたいなのが聞こえるんだって」
この話は、スタッフは皆知っていた。だが、そのことについて誰も口を挟まない。
「気のせいかなと思ったとか、騒ぐと大ごとになるから黙ってたとか言うんですよ」
「それで?」
山際がデスクに肘をついて、頬を乗せる。
「そういう話がいったん出たら、出るわ出るわで。キャットウォークから白い顔が下を覗き込んでたとか。そいつは目が真っ赤で、口の中も真っ赤だったとか」
「口が耳まで裂けてたとか首が延びるとか頭に皿が乗ってたとかそういうやつだ」
からかい気味に山際が口を挟んでも、名越は続ける。
「キャットウォークを、怪人がマントを翻して走って渡ってったとか」

「そりゃ嘘だろう」
「本人たちは大まじめで」
で? と山際は頬杖のままで、
「調べたりしたわけ?」
「磯貝さんは、何にも」
異常はないって、と山際は首をふる。
「ああ。キャットウォークは磯貝ちゃんの庭みたいなもんだからね」
「そのうち、誰が言い出したのか〝ヒーローパルテノンの怪人〟って」
「そんな、名前なんかつけちゃったら駄目だよ」
頬杖を外した山際は机をトントンと叩いて、
「名前なんかつけたら、キャラクターグッズ作らなきゃいけなくなる」
「作りますか」
テラが言うと、小山田は繕うように、
「ま、古い劇場なんかにはそういう怪談話みたいなのはよくあるんで。箔がついたと思ってもらえればと」
いらないよ! と山際はいら立つように言ってから、
「そういうのは何百年もやってる劇場でやってくれないかな」
山際はうんざりとした顔を露骨にかくそうとしない。
「うちはリニューアルから十年も経ってないんだよ。だいたい遊園地の中にあるんだからさ、どうしてお化け屋敷の方に出ないのかな。あっちの方がずっと古いんだよ。あっちだったから大歓迎でグッズ展開するよ」
憤慨する山際に名越が落ち着き払っていう。
「でも最近は鳴りを潜めてるようで、声もしないみたいですから」
「そんなのどうでもいいんだよ。危害を加えてくるわけじゃなし。せいぜいプリンの蓋を落とすくらいだったら、どうぞご勝手にって感じだよ」
クッションの利いた事務椅子によりかかる山際に、テラは妙におごそかな声で、
「いやいや。怪人ってのはそんな、プリンの蓋をどうのこうのなんてみみっちいマネしませんよ。怪人は、もっと正々堂々としてるもんで」
「テラが言ってんの、それ自分がやってる怪人のこったろ」
「わかっちゃった?」
小山田と顔を見合わせて、はしゃいだ声をあげるテラの顔を冷ややかに見ていた山際は、米満に視線を移した。
ガバっと背もたれから身体を起こして、
「よねみっちゃんさあ、今までの流れひっくり返しちゃうけどいい?」
山際はテラからファイルを奪いとると、ペラペラめくってどん!
と、机に叩きつけるのだった。
妙にしゃっちょこばってフレームに納まっているのはテラのプロフィールだった。目の部分に天井の蛍光灯が映りこんで白く抜けて、なんだか犯罪者のようだ。
テラが何か言おうとする前に、名越が口火を切る。
「ああ、全部ある。なにより愛がある」
「文句ない? ないよね」
山際もさぞかしいいアイディアだという顔をする。
だなあ。と呑気な声を出した小山田にテラのこめかみはピクリと動き、眉間のしわが深くなった。
「テラさんのレッドかあ」
夢心地な声を出す米満に、テラは射るような目を向けた。