第二章 泣くなシンタロー!今日も夕陽は赤いのだ

第17話 特訓

わるもn

土曜日の十一時公演のあと、しばしの間、テラは気を失ったように眠った。

身体がおそろしく重い。起き上がりざまに声が漏れそうになるのを、歯を食いしばって耐えた。

起きたまま金縛りにあっているのではないかと思うほど身体の自由がきかない。

今は次の公演があることが救いだった。たとえ全身がきしんで悲鳴をあげたとしても、公演の時間が近づけば、気力でどうにか立ち上がれるのだ。

ステージの光がまぶしい。

へばっていたのはテラだけではない。本番を通してみて、そのしんどさを誰もが改めて思い知った。休憩の間は全員が口数少なくうなだれている。百戦錬磨の連中が、続く公演でまた同じアクションをしなくてはいけないことに気を重くしていた。

ひとり申し訳なさげにぴんぴんしていたのは真太郎だった。どうやら満場の拍手喝采を浴びて、疲れが吹き飛んでしまったらしい。

大きな事故もなく、どうにか土曜日の残りの二公演、そして日曜日の三公演も終わらせることができた。

しかし、関係者の疲労は回を重ねるほどに蓄積していく。次の土日までの五日間休んで疲労が多少回復したところで、週末になればまた、体力と精神力の限界まで絞り込まれるのだ。



日曜日の二回目と三回目の公演の間の休憩時間のことだ。

奈落奥で作業をしていた水戸が、奈落マットの隅っこにちょこんと座った真太郎のそばに大股でやってきて息せききって、

「おいっ、今の聞いたか」

真太郎が顔をあげて怪訝な顔をすると、
水戸は人差し指を上に向けてしばらく押し黙ったあと、

「な、聞こえただろ」

真太郎は上を見上げた。奈落の蓋は、チェック作業のために開いていたので、遮蔽されることなくキャットウォークの鉄骨が見える。

地響きのような唸りをあげて奈落の蓋が閉まって、真太郎はもう一度水戸の顔を見た。暑いわけでもないのに水戸の額には汗の玉が浮いている。

「なにがですか」

真太郎の能天気な声に、水戸は顔を紅潮させて、

「パルテノンの怪人のうめき声だよ」

そう言ってまた息を殺して耳を澄ませた。真太郎も頭上の気配に集中するが、他所の作業の音しか聞こえてこない。周囲の人たちも、何事もないような顔で、それぞれの作業を行っている。

「聞こえませんけど」

水戸の小さな目の上の短めの眉が吊り上がって、潜めていた声が大きくなる。

「お前、鈍感すぎる」

水戸がなじると、おい水戸、と奈落の奥から怒号が飛んだ。

「サボってるんじゃないぞ」

先輩セフティの怒鳴り声に、水戸は身を小さくして奈落奥へ小走りで向かっていった。



数日の休みを挟んだ金曜日の午後、テラは真太郎を呼び出した。

待ち合わせは劇場の楽屋口だったが、テラの足が向かったのは劇場の反対側にある遊園地だ。

「どこに行くんですか?」

劇場で稽古をするのだとばかり思っていた真太郎は、小走りにテラの後をついていく。

怪訝な様子の真太郎に振りかえりもせず、テラはずんずんと進んで遊園地のゲートをくぐっていく。

そのすぐわきを悲鳴と共に通過するジェットコースター。その迫力に思わず身をすくめた真太郎に、コースターの轟音に負けない大声でテラは言い放った。

「特訓だ。特訓」

「特訓とは?」

「お前、ヒーローオタクなんだから、特訓ぐらい知ってるだろ」

「それって」

真太郎の眉間に細かなしわが浮かんだ。

「もしかしたら、ネットの動画で見たことあるような」

記憶を手繰り寄せるうち、真太郎のしわが深くなる。

「強い敵に打ち勝つために、なんだかありえないような無茶な訓練をやるっていう、あの特訓ですか」

「わかってるじゃないか」

「クレーンで鉄球をぶつけられたりする、あのむちゃくちゃな特訓ですか?」

「知ってるじゃないか。弱点を克服するためには、特訓は欠かせない」

「それは昭和の時代のヒーローがやってたことじゃないですか。今の時代は、弱点を克服するには、新しいアイテムを手に入れてですね」

「グッズ戦略に乗るイイお客さんだな。だがお前の弱点は、どんなグッズを買ったって克服できんのだ」

周囲のマシーンから吐き出される絶叫が真太郎を取り囲む。

「お前のその子供っぽい高所恐怖症を克服するための特訓だ」

テラがあごをしゃくった先にそびえた、どころか、そびえきった挙句に一回転してしまっているジェットコースが屹立している。

ゲートで古参の係員に手を挙げるテラ。

「よお、久しぶり」

「どうもテラさん」

従業員がテラにぺこりと頭を下げた。

「いいかなちょっと」

「どうぞどうぞ」

満面の笑みでゲートを通してもらったテラに、真太郎は目を丸くする。

「テラさん、顔パスなんですか」

「俺もここは無駄に長いからな」

澄ました表情でそう言ったあと、おっと、とつぶやいて真太郎に顔を近づける。

「お前はまだそういうわけにはいかねえよ」

真太郎はいぶかしげな顔を崩して、

「もしかしてテラさんは、タダだからここを特訓の場として使うことにしたんですか」

「お前なあ」

絶句するテラ。あながち的外れでもないらしい。

「そういう余計な事を考える暇あったら、このマシーンのスピードと高さで、とっとと高所恐怖症とやらを治しやがれ」

真太郎の目がうつろになっている。

「お前はレッドだ。レッドとして、恐怖を克服しないでいいのか、え?」

真太郎がごくりと唾をのむ音が、遊園地の騒音の中でもテラの耳に届く。

「克服しなくてはいけない。のです」

乗れ、とあごをしゃくるテラ。

「これがお前の特訓だ」

テラに強引に背中を押されながら、しぶしぶ搭乗ゲートに進む真太郎だったが、突然背中を押す力が弱まったので、足を止めて、振りかえって訊いた。

「テラさんは乗らないんですか?」

「これは、お前の、特訓なんだ」

一瞬、その目にひるんだものを感じた真太郎は、つづけざまに問いかける。

「テラさんまさか、これが怖いってことはないですよね?」

ふん、と鼻をならすテラ。

「これだから素人は困る」

と、せせら笑ってみせて、

「俺はなあ、ヒーローパルテノンができる前、野外劇場だった頃、ヒーロー役の助っ人で出て、劇場のすぐ隣を走ってたコースターの、一番前の車両に立ち乗りして、銃を撃つっていうアクションをやってたんだからな。だから俺にとっちゃあジェットコースターなんてものはな、朝飯前なんだよ。アクビしかでないね」

そんな自慢話を黙って聞いていた真太郎が、眉をひそめて人差し指を眉間に当てた。

「ええと、ヒーローパルテノンは、野外劇場の跡地にできたんですよね」

「それがなんだよ」

「ということは、今走ってるコースターは、そのころとは違うコースターですよね。だって、今のコースターは劇場とはずいぶん離れてますからね」

真太郎の言うとおりだった。巨大コースターは、劇場のあるエリアとは大きな通りを隔てた別のエリアにあって、昔のコースターとは別物なのだ。

しかしそれがなんだというのだ。テラは面倒くさそうに返す。

「だからなんなんだよ。リニューアルにリニューアルを重ねて今があるんだ。そんなの当たり前だろうが」

「つまり今走ってる、あのコースターにテラさんが立ち乗りしてたってわけじゃないですよね」

「あんな一回転するコースターになんか乗れるわけないだろ。アホかお前は」

「絶叫マシーンなんて言葉が流行る前ですよね。きっと、テラさんが若かった頃のコースターなんて、高低差だってあまりないだろうし、スピードだってゆっくりだったんじゃないですか? だって四十年前ですもんね」

「四十年も前じゃねえよバカ野郎」

「でも立ち乗りできるってなんてことは、相当ゆっくりでしょう。だったら今のコースターとは全く別物じゃないですか。テラさんがあのジェットコースターを怖くないっていう証明にはなってないですよ」

「うるさいんだよ」

「今の、名探偵でしたか」

「馬鹿野郎」

 絶叫を置き去りにして、走りすぎてゆくコースターに目をやりつつ、テラはようやくこの一言を返すのだった。

「写真だってあるんだからなっ」



「写真があったところで、その頃のコースターと今のコースターが全然別のモノだっていうことが分かるだけですよ。だいたい、動画でもない写真じゃあ、どのくらいのスピードで走ってたのかなんてわかりませんからね。むしろその写真のテラさんがきれいにぶれずに写ってたら、却ってスピードが遅いんじゃないかっていう疑いが強くなるだけです」

「うるさいうるさいうるさーいっ」

こうなると、ただ轟音に負けないように怒鳴るしかなかった。

「テラさんが乗るなら僕も乗ってあげてもいいですよ」