第二章 泣くなシンタロー!今日も夕陽は赤いのだ

第18話 金曜日の恋人たち

わるもn

ガタン! トコタンタンタン・・・

急こう配を容赦なく上がっていくシートの上で、たちまちテラは後悔した。
遠くを見渡せる視界で、いったん車両はストップした。機械の音が一切聞こえなくなり、もう秋とはいえない冷ややかな風が頬を強く撫でる。

ゴツ。

衝撃と共にカートが坂をくだりはじめる。すぐにスピードは最高潮に達する。真太郎に言われるでもなく、あの頃のコースターとは別の乗り物だった。

奥歯を噛みしめる。

全身の筋肉が硬直する。

すぐそばで悲鳴が聞こえる。

叫んでいるのは隣の真太郎だった。恐怖の叫びではなかった。真太郎はノリノリだった。どうやらそれは歓喜の絶叫なのだった。



ゴールについた時には、テラの舌は乾き、鼻の穴は痛く、全身の毛は逆立って、奥歯の付け根はじんじんしていた。動物的本能が、もう二度と乗るなと咆哮していた。

真太郎は絶叫しすぎて枯れた声を詰まらせながら、

「いつの間にか叫んでました。三六〇度ループ、最高じゃないですか」

まだ三六〇度ループの恐怖感から震えの残る声でテラが訊く。

「お前、高所恐怖症はどうなった」

テラに聞かれて、一瞬真剣になにかを考えていたようだったが、すぐにどうでもいいような顔になって、

「どうしたんでしょうね」

と、言ったあと、

「わかんないですけど、楽しかったです。ですよね?」

同意を求められてもテラは頷くことができないまま、

「それは恐怖症を克服したって事か」

「いやあ、どうでしょう」

真太郎の視線の先に落下傘のついたフリーフォール、『フラワーフォール』が見える。

「まだわかりません。でも僕はまだ特訓が足りないんじゃないかって思うんです」

真面目な顔でフラワーフォールを指さす真太郎。

「あっちの方がジェットコースターより高いじゃないですか。僕はあの高さを克服しないと、まだ高所恐怖症は克服できないと思うんですよ。次はアレに乗る特訓をすべきだと思うんです」

そう言って真太郎は勢いよく頭を下げる。

「お願いします。特訓をやらせてくださいっ」

テラはやんわりとフラワーフォールへの同乗を断って、フェンスの向こうの従業員喫煙所に逃げ込んだ。

何本ぶんの煙を消費したろうか。落ち着きを取り戻して戻ってみると、真太郎は何度目かのフラワーフォールに乗り込もうとしているところだった。テラに気づいた係員はうんざりと首をふった。
真太郎はテラに気づくと、

「なにやってたんですか。テラさんが戻ってこないから、僕は仕方なく特訓を繰り返していたんですよ」

弾んだ口調で真太郎は言うと、テラの手をつかんだ。

「では次の特訓をお願いします」

真顔で言うと、

「この高さじゃまだまだ足りません。トップステージの高さに耐えるには、やはり遊園地一番のの高さに耐えられないと

真太郎は弾んだ足取りで遊園地のランドマーク、巨大観覧車を目指して走ってゆく。

真太郎とテラが向かい合わせに座ったゴンドラが上昇してゆく。

「明日、劇場入りする前に特訓の続きやりましょう。恐怖を克服するには、違う種類の恐怖も経験しておかないといけないと思うんですよ」

上昇するゴンドラから、お化け屋敷の看板が見えはじめる。真太郎の魂胆が分かってテラは声をあげる。

「特訓はもうやめだ! 二度とやるか」

今日はっきりしたのは、テラが真性の絶叫マシーン恐怖症だということだった。

「お前、俺をだましやがったな」

テラが身を乗り出した瞬間、ゴンドラがぐらりと揺れた。思わず窓枠の手すりにしがみついた。せめて唾ぐらいは飛ばして文句を言うしかない。

「本当は遊園地大好きなくせしやがって。苦手なフリしてただけだろ」

「とんでもないですよ」

真太郎がはげしくかぶりを振るものだがら、またゴンドラが揺れたような気がして、テラの手がまた手すりに伸びる。

「乗る前は本当に死ぬかと思うぐらい怖かったんです。でも乗ってみたら、楽しんでたんです。怖いけど楽しいっていうのがあるんですね。遊園地って、そういうものが集まってる場所なんですね」

眼下に見えてくるコースターを見ながらしみじみと真太郎は言う。

「テラさんと一緒じゃなかったら、とてもじゃないけど、乗れなかったです」

そんなフォローはいらないと言いたかったが、すぐに言葉が出てこない。

ドキドキが愛に代わるってなんだか分かる気がする。などと眼下の景色につぶやく真太郎にテラはやっとのことで、

「お前、遊園地に今まで来たことなかったのかよ」

「あるわけないですよ」

当たり前のように言った。

「だってお前、ヒーローショーにしょっちゅう来てたって言ってたじゃないかよ。そのついでに遊園地ぐらい」

真太郎は首をふって、

「ヒーローショーに直行直帰ですよ」

ゴンドラが上昇し、うつむいた真太郎の顔に支柱の影が差した。

「僕がヒーローショーを観に来るようになったのは、もともと、親の都合だったんです。ママが病弱だったんで、パパに頼まれてお手伝いさんがよくここに連れてきてくれたんです。パパはヒーローショーのスポンサーなんで、ただで見られるチケットがいっぱいあったんでしょうね」

ママ、パパ、お手伝いさんと、いい大人が口にするには、いけ好かない言葉が連発しているが、あまりに淋しげな真太郎の表情にテラは口をつぐんだ。

「遊園地だと勝手に走り回ったり迷子になったり大変ですから。その点ヒーローショーは、隣に座らせといてジュースでも渡しとけば、終わるまで付き添いの大人は寝ていていいんですから。お手伝いさんも楽じゃないですか。ママが病弱で、パパがスポンサーで、お手伝いさんがめんどくさがりで眠たがりだったおかげで、僕はヒーローショーに夢中になることができたんです」

ゴンドラが上昇し、ヒーローパルテノンの全景が見下ろせるようになった。

「あそこが僕の場所なんです」

柱の影が動いて、真太郎の顔にはいつの間にか西日が差している。

「一人で出歩けるようになって、パパからもらったタダ券を握り締めて、僕はヒーローショーに通い詰めました。テレビのシリーズを見るようになったのはヒーローショーにはまってからなんで、他の子供とは順序が逆なんです。だから僕にとってのヒーローは、目の前に存在してて、握手もできるヒーローたちなんです。テレビのヒーローは僕にとっては二の次なんです。あの人たちは画面の向こうの会えないヒーローですから」

夕映えの空をバックにあこがれのヒーローの話をする真太郎の目はキラキラと輝いていた。

「一人で来られるようになってから遊園地に来なかったのか。ガールフレンドとか連れてよ」

「ガールフレンド?」

真太郎がすっとんきょうな大声を上げて、ゴンドラが揺れてテラはまた手すりに手をかけた。

「それは僕、見たこともなければ聞いたこともないものですよ」

ますます小さくなってゆく眼下の光景から目をそらし、テラは上空を見上げた。しかし空はあまり見えず、視界を無愛想な鉄骨がよぎってゆくだけだ。

「お前、淋しい野郎だな」

真太郎の顔に当たる光はいっそう強くなった。

「そんなことないです」

真太郎が見せた白い歯に光が当たる。

「だって、僕にはヒーローがいたから」

テラは手すりから手を離して、お前よ、とため息をつく。

「おめでたい野郎だ」

「テラさんは」

視線を移すと、真太郎がテラの顔を覗き込んでいる。テラは少し慌てて、

「俺は家族と遊園地なんか行かないぞ」

真太郎は不思議そうな顔で、

「テラさん独り身かと思ってました」

慌てたテラは、

「あ、おう、そうだ。当たり前だ。俺は独り身だ」

大きな声を出すとゴンドラが揺れそうな気がして、遠慮がちな声になる。

真太郎は、まじめな顔をして、

「そんな事より、身体は大丈夫なんですかって聞こうと思ったんですよ」

テラがさっと表情を固めたのは、高所の緊張だけではない。

「いや、僕を教えてくれてる時、なんだか辛そうな顔、よくしてるから」

真太郎の顔は、疑問というよりも申し訳なさげな色が濃く、テラが無理をしている事に関しては疑っていないようだ。
それを払しょくしようというのか、テラは大きな声を上げた。

「お前、そうやってよそ見ばっかりしてやがるから、上達しないんだよ」

張り倒そうと手を上げたものの、その動きでまたゴンドラが揺れたような気がして、テラはすぐに手すりを掴んだ。

「ちょっと、テラさんの方がよっぽど高所恐怖症じゃないですか。そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ、ゴンドラはコンピューター制御されてるんですから」

「バカ野郎」

話題がそれるとテラは間髪入れずに矢継ぎ早に続けた。

「そうやって機械を信じ込みやがって。うすっぺらい恐怖しか持たない野郎は、何もかも薄っぺらいんだよ。俺の恐怖には理由があるんだ。このとんでもない高さに俺たちを引っ張り上げてるのは」

テラは手すりから手を離さないまま、眼下の観覧車の機関室を目で示した。

「あのモーターじゃないか。モーターにコンピューターだと? 冗談じゃない。機械任せほど信じられないもんはないし怖いもんはない」

テラの視線が、小さくなってゆくヒーローパルテノンに移る。

「あそこは違う。全部がニンゲン任せだ。下を見りゃあ、ちゃんと毎日点検したマットが敷いてある。信頼できる仲間が安全を確保してくれてる。なにより、あの高さまでてめえの足で上がって、てめえの足で立ってる。それが恐怖を忘れさせてくれる」

真太郎は黙っている。

「お前の恐怖にはちゃんとした理由があるのか」

「理由ですか?」

真太郎は曖昧な表情を浮かべるのみだ。
かすみが晴れて、遠くまで見渡せる。あれは富士山だろうか。

「テラさんはどうして僕の面倒を見てくれてるんですか」

「お前を一人前にしないと、俺たち全員食いっぱぐれて、路頭に迷うからだ。わるもんがヒーローをやっつけちまったもんだからな、そうなったらわるもんは、新しいヒーローを育てにゃならんのだ」

真太郎は不服そうな顔をする。

「僕だってわかりますよ。ほかにもっと適した人いると思いますから。それなのに、どうして僕みたいなのにこだわって、僕を育ててくれてるんですか」

「はあ? そんなもん、そういう命令だからだよ」

「そんなの断ればいいじゃないですか。そうじゃなくて、どうして僕を見込んでくれてるんですかって、その理由を聞いてるんですよ。理由を」

「見込んでる? んなわけないだろ。むしろお前以外の奴だったら、誰でも歓迎だね」

「そうですか」

真太郎はそんなきつい物言いにも妙にさばさばとしていた。そしてぽつりと、

「今日は楽しかった」

わずかに赤みが混ざりはじめた空を見つめてつぶやいた。

お前よ・・・。

心底あきれた時の、淡々とした口調でテラが言う。

「デートみたいな言い方すんな」

その言葉を合図にしたように、パン! とライトアップがはじまった。
ハート型の光の波紋を浮かび上がらせた観覧車は、金曜日の恋人たちを乗せて、夜のとばりを待っている。

たったひとつ、男二人を乗せたゴンドラを除いては。