次の週末が来た。
土曜日の初回、十一時公演が終わって、レッドとして握手会も終わらせた真太郎が、早足で楽屋に戻ってくる。
マスクを取りながらわめくように、
「遊園地とステージは全然違いますっ」
泣きそうな声でそう訴えると、
「だからお前の恐怖には、ぜんぜん理由も根拠もないって言ったんだ」
すでにシャワーを浴びて、ジャージに着替えたテラが吠え返すのだった。
結局、その回だけでなく、十五時の回も、翌日曜日の三公演も、真太郎の演じるエクスレッドが宙を舞うことはなかった。
もちろんトップステージにも、ついぞレッドが勇姿を現わすことはなかった。
遊園地の、疑似的で機械任せのスリルは平気でも、ステージでおのれの身体を張ったリアルなスリルには、真太郎はまだまだ耐性ができていなかったということらしい。
あの特訓はテラが肝を冷やしただけで、無駄なものになった。
日曜日の夕方、三回目の公演終わり。
へとへとになって、奈落に死屍累々と横たわるメンバーたち。
その一方で、ぴんぴんしているのが申し訳ないのか、マットの隅で体育座りに顔をうずめている真太郎。
そんな有様を、奈落の穴の淵からから、イノさんがくちゃくちゃジャーキーを噛みつつ、ニヤニヤと見下ろしている。
視線に気づいて真太郎が顔をあげる。
「どうしてなんでしょう。いざステージの上の方に向かおうとすると、身体が動かなくなって、足がすくんで、手汗がどっとふき出て、鼻が詰まるんです」
「坊や、鼻で息ができないんならまずは口を開けろ。そのほかの問題は、お前の心構えだな。お前さんはもっと上を見るこった」
マットにうつぶせに顔を埋めたテラから、声が漏れてくる。
「もう知らね。・・・」
「坊やを連れて行ったらどうだ」
イノさんの言葉にテラはもったり顔をあげて、どこに? と聞いた。
五日後、金曜日の午前中。
インターチェンジを降りて五分ほど走れば、マニアならば思わず声をあげるに違いない雄大な光景が目の前に広がっている。
「うわあああああ」

ロケバスから降りたったばかりの真太郎が、目をキラキラさせた素人に戻っている。
イントレを組んだり、レフ板をセットしたり、爆破用の仕掛けを仕込んだりと、てきぱき撮影準備を進めるスタッフたちに歓声を上げる。
夏ならば生い茂っているであろう緑も今はなく、荒涼とした光景の様々なポイントは、真正オタクの真太郎の記憶の名場面に次々と刺さっていく。
「見てくださいよ! あの崖ぎりぎりのところをイーグルが突っ走ったんですよ。下の方に見える貯め池、あそこでジラ兄弟とグレンザーデビルが水しぶきあげて戦ってましたね。うわあ、むこうのでっぱりでビックゼロが名乗りを上げてたのはカッコよかったあ」
さらに感じ入った様子で、遥か彼方にそびえる奇妙な形をした岩山に目を細める。
「本当に船の形してますねえ。テレビ画面で見ると書割みたいに見えるんですけど、この目でじかに見ると、なんだか余計に書割に見えますよ」
あらゆる光景に奇声を上げてうろうろしている真太郎にはお構いなしに、スタッフたちは黙々と撮影準備を続けている。
「どこに目をやっても、ヒーローの名場面が出てきますよ。ああもうつらい! どこを向いても懐かしいヒーローが頭の中によみがえってくるう。だからって目をつぶったらもっともっと出てきちゃいますよお」
このひたすら広い荒地のような場所は、建築資材などに使う岩石の採石場であるが、同時に、特撮ヒーロー番組の黎明期からロケ場所として何度も何度も使用されてきた〝聖地〟だった。
オンエア中のシリーズ最新作、『超絶戦士エクスチェイサー』も放映開始から半年を過ぎた。物語はクライマックスに向けて盛り上がっている。そこでこの聖地でロケをして、歴代ヒーローたちが歩んできた栄光の恩恵にあずかろうという目論見だろうか。今日はかなり大規模なロケだった。
「あんた、ショー派なんだろ」
笑顔のまま振りかえった真太郎に、
「テレビは二の次って言ったらしいじゃないか」
ケータリングのテーブルの脇で、小仏が真太郎に白い眼をむけている。
「野暮なことは言いっこなしです。比べるものじゃないですよ。今の僕は、ヒーローそのものを愛しているんです。日曜朝のオンエアだっていつも見てから劇場に行ってますよ」
小仏はコーヒーの香りのため息をついて、
「今日は、変身前の子たちも来てるんだ。ミーハーな顔して叫んだりしたら、強制送還するからね」
真太郎の顔がさっと曇った。
「あー、別にどうでもいいです。そっちは僕、あんまり興味ないんで」
小仏は、いつかのイノさんのように口をぽかんと開けた。
「言いませんでしたっけ? ラブ要素、ああいう取って付けたような小ざかしいの、なんの意味があるのかなって。あれ必要ないでしょ」
「お前、そんな事キャストのみなさんの前で言ったら、あの崖から突き落とすよ」
小仏の背後で炎が上がった。爆破装置のテストらしい。丸焦げのカリフラワーのような黒煙が雲一つなく晴れ渡った空に立ち昇っては消える。遠く離れた場所にいても熱風がうぶ毛を撫でるほどの迫力だ。
ガソリンをビニール袋に注いでいる梶やんを見つけて、駆け寄っていく真太郎。
「おはようございます!」
梶やんは、特殊効果スタッフとして、屋外のロケでもその腕を振るっているのだ。テキパキと手を休めず、いつもの投げやりに聞こえる早口で、
「ロケは楽しいぞ。いつもは暗い奈落でちまちまやるしかないけど、トッコーの本領発揮はなんてったってロケだからよ。ガソリンだって火薬だって思う存分使えるからな。その代り、劇場よりもうんと危険が多いからな。気ィ引き締めとけ」
テラは別のロケバスで先についていた。
この現場ではレギュラーではないが、悪役のオファーがあれば、テラも助っ人して参加している。今回の撮影は、敵幹部の一人、『ガンセキカーネル』の中に入ることになっている。
それは顔の半分が岩石になっているキャラクターだ。そのため、片方の視界が見づらくなっている。自在なアクションが難しいキャラクターであることもあって、ベテランのテラにお呼びがかかったらしい。
「テラさん、おはようございます」
「おう」
とそれだけぽつりと言ったテラはいつになく口数少なく、態度もでかくない。
「あれ、どうしたんですか。いつものテラさんと違いますね」
「俺はここじゃ助っ人だ。知ってる奴はいっぱいいるけど、知らない奴だっていっぱいいるんだ。アクションクルーにしたってジェットのメンバーだけじゃない。いろんな奴らの混成だ。だからお前も、劇場と同じような顔してるなよ。さっさとツブテに着替えてとっとと準備しろ」
新米の真太郎は、ツブテのひとりとしてアクションに参加することになっていた。
それ以外にもアクションクルーの補助として、機材の設置を手伝うなど、劇場のセフティがやっているような事も受け持つことになる。にも関わらず、真太郎はジャージ姿でさえない。小洒落たジャケット姿は、まるで一般の見学者が紛れ込んだようだった。
ふと目を移すと、小仏も早速アンダーウエア姿になっていて、敵の幹部の一人、『プリーステス・マグマ』のコスチュームを着せてもらっているところだ。
この役は小仏がメインでこなしているレギュラキャラクターだ。公演のない平日の撮影にはほとんど参加しているらしく、慣れた様子でスタッフたちと雑談を交わしながら準備を進めている。
「プロっぽい。みんなプロっぽい」
「プロっぽいじゃなくて、プロなの」
小仏の耳には真太郎のつぶやきが届いたらしい。
キャスト陣の控室代わりになっているロケバスから一人の青年が出てきて走ってきた。
頭をぺこりと下げた青年は、百地真太郎さんですか! とはきはきした笑顔を向ける。
「はじめまして! ゲン・ナオトを演じてます春原(すのはら)栄進(えいしん)です! 僕ら、撮影が忙しくてまだ舞台を見に行けてないんです」
興味なさそうな真太郎の表情には気づかず、春原は勢いよく頭を下げた。ゲン・ナオトはエクスレッドに変身するエクスチェイサーのリーダーの役名だ。その声はショーでのレッドのアクションにかぶる音声として聞いているものの、対面するのは今日が初めてだ。
「真太郎さんって、大抜擢だそうですね」
「いやいやいや」
「ほとんど僕らと年が変わらないのにいきなり変身後のレッドなんてすごいねって、こっちのメンバーとも話してたんです」
「いやあの、そんなに騒がれても困るんで」
戸惑う真太郎をよそに、
「おーい」
春原は、衣装に着替えてロケバスから出てきた他のメンバーたちを呼ぶのだった。
リーダーの呼びかけに軽やかに走ってきて、さわやかな笑顔をはじけさせる三人の若者たちが順番に口を開く。
「エクスブルー、ジョー・イッキ役の麻田海斗(あさだかいと)でっす」
「エクスイエロー、アイダ・トオル役の岡倉(おかくら)大貴(ひろき)と申します」
「エクスグリーン、マイト・リョウの松崎(まつざき)悠(ゆう)です。よろしくお願いします」
尊敬のまなざしで頭を下げる若者たちに複雑な表情でおじぎする真太郎。
遅れてバスから降りたった少女が、仲間を探してきょろきょろしている。春原がさわやかに手を振って声をあげる。
「おーい、ミオォ」
呼ばれて気がついて、小走りにこっちに向かってくるショートカットの女性。
真太郎の瞳孔が、ぎゅううん! と大きく広がって・・・。