こっちに向かって走ってくる女性。
少女というには大人びた、大人の女性と言うにはまだ早い。
そんな微妙な年ごろの、彼女の衣装のショートパンツから伸びた生脚のまぶしさに、真太郎は目がそらすことができなくなってしまった。
走りをゆるめ、いぶかしげな表情を浮かべていた女性は、すぐに笑顔になる。
「はじめまして。エクスピンク、イズモ・ユウキ役の未緒です」
と、お辞儀をしてすぐに真剣な顔になって、
「すいません、あの、セリフでちょっと良くわからない事があって」
え? 彼女の口から出た言葉の意味がまったくつかめず言葉を失う真太郎。
春原がすかさず口を挟む。
「おいおい」
と、すぐ真太郎に向き直って、
「すいません。こいつ、ちょっと天然なんです。そそっかしくて早とちりなんです。お前はこの人、誰だと思ってるんだよ」
「え、脚本家の先生、と思ってたけど、違う・・・みたい」
未緒は、小洒落たジャケットの真太郎をなぜか脚本家だと思いこんでいたようだ。
「ああっ、ごめんなさいっ」
一メートル以上は後ろに飛び退いて未緒は平謝りした。
「ああまたやっちゃった」
「マネできねえよなあ。完全に思い込みで話すんだもんなあ」
イエロー役の岡倉が腕組みをしながら首を捻る。
「前にもあったんですよ、こいつ、スポンサーのおもちゃ会社の偉い人を、怪人の変身する前の人だと思い込んでパンチまでしやがった」
「だってあの人、怪人のデザイン画とか持ってたし」
「中の人はそういうの持ってないから」
「あとすごい悪い顔してて」
「理由になってないから」
そう言って春原は真太郎を紹介する。
「この人は、ヒーローショーでレッドに抜擢された、百地真太郎さんだよ」
「ああああ。そうだったんですね。知ってます知ってます」
大きく目を見開いた未緒に、春原が続ける。
「今日はこっちの現場に陣中見舞いに来てくれたんだよ」
もう一度、ごめんなさい、と未緒は勢いよく頭を下げて、
「アクションやる人に見えなかったっていうか。あ、あ、別にアクションの人が変とか変じゃないとかって言うんじゃないんです」
「あ、あ、いいんですから。僕がアクションクルーに見えないのがいけないんで」
未緒と真太郎、お互いにぺこぺこ頭を下げながら、どっちもやめようとしない。
「そんな奴におべっか使っても何も出ないよ」
首から下は怪人姿になった小仏が近づいてきた。
「素顔のヒーローが雁首揃えて、そいつに愛想笑いしたところで何の得にならないんだから」
変身前のヒーローを演じている青年たちは、変身後のヒーローとは区別する意味で〈素顔のヒーロー〉と呼ばれている。
小仏は真太郎を小突くと、
「こいつは今日、ツブテ役と補助役で来てるんだよ。ただの下っ端なんだから」
「え・・・でも、ショーでレッドをやってるんですよね」
「こいつはね、別に腕があるからレッドやってるわけじゃないからね。強力な推薦があって、抜擢されたの」
真太郎がアワアワする間もなく、
「コネでレッドになったってこと」
決定的な事を言われ、真太郎が思わず未緒を見ると、完全に無表情になっている。
――軽蔑された・・・。
恨みがましく小仏を睨む真太郎。
「あたしゃほんとのことを言っただけだろ。この子たちに変に買いかぶられても困るだけだ」
その時、未緒が口を開いた。
「でも、レッドはレッドですよね。きっかけはコネかもしれないけど、ちゃんとやれてるから、レッドをやってるんですよね。いいじゃないですか」
突然、鼻腔の奥がつんと熱くなって、思わず涙があふれそうになった。死にもの狂いで真太郎はそれをこらえた。
「あんた、ちょっと何? なんで泣いてんのよ? ちょっとっ」
小仏が心底びっくりした声をあげる。
「あ、いやあ! ここほこり凄くて。乾いてて土があるから、ほこりすごくありません?」
どうやら涙をこらえきれていなかったらしい。
鼻をすすってみたり咳をしてみたりしてごまかす真太郎に春原がまたにこやかな顔に戻って、
「年明けには、ショーでお世話になります。今日もいろいろお世話になると思います。どうぞよろしくお願いします」
「ええっと」
「お前、ヒーローショーのマニアだから知ってるだろ」
「あー、スペシャルステージですか! そうでした」
ヒーローショーでは、一年間のシリーズ公演の有終の美を飾る形で、毎年正月明けから春先まで、TV本編の撮影を終えた素顔のヒーローたちがゲストで参加する「スペシャルステージ」が恒例になっている。
未緒が輝くような笑みを見せながら去っていった。
その笑顔を、そのえくぼを、死んでも記憶から消すまいと心に誓った真太郎だった。

午前中の撮影は、爆風の中を駆け抜けてゆく素顔のヒーローたちの場面だった。点々と設置された、セメントの粉を含ませた爆破装置の間を、春原たちが駆け抜ける迫力のシーンだ。
装置の間を生き生きと移動してセッティングする梶やん。繰り返し安全チェックと動きのリハーサルを積んではいるものの、火薬を使う場面は緊張が高まる。
真太郎はまだツブテの恰好にはならず、ジャージに着替えて補助として、春原が走りながら途中の岩陰からジャンプするために設置したミニトラを危なくないようおさえる役を与えられた。
春原は、ジャンプのポーズについて、変身後のレッドを演じているクルーに相談をしている。クルーにポーズを取ってもらい、それと同じ姿になるように何度も反復練習をしているのだった。
ふと見ると、他の素顔のヒーローたちもアクションの細かいスタイルを、各々の変身後を演じるクルーたちと相談しながら作っている。
それらはショーでは見られない新鮮な光景だった。
ふと、未緒に視線を移すと、どうやらあまり運動は得意ではないらしい。
「ホレこの腐れどんガメ、はよう走れ!」
「ああ、とっとと行くな。綺麗に走るんだよ!」
などと、監督やアクション監督に繰り返しダメだしされ、その都度めげずに、もう一回お願いしますっ! と声を張ってぴょこんと頭を下げる。
あきらめず、へこたれず、けなげにチャレンジを続ける未緒に、自分と通じるものを感じて、真太郎は大声で心の中で応援した。
と、スピーカーを通じて監督の怒鳴り声が響いた。
「おいコラ! 岩陰のミニトラ係、お前、ばっちりキャメラに映りこんどるわ。見切れとんじゃあっ! 汚ないケツ隠せ! 腐れへっぴり虫が」