第二章 泣くなシンタロー!今日も夕陽は赤いのだ

第23話 チャックをおろせ

わるもn

ツブテのコスチュームを着たままの真太郎がうろうろしている。

正確には「着たまま」ではなくて、脱ぐことができないのだった。

誰も真太郎の背中に回ってファスナーを降ろしてくれる者がいないのだ。
誰もがせわしく撮影のために動いている。

忙しそうなスタッフの誰かに、
「チャック降ろしてください」
その一言が言えない。

心なしか息苦しくなってきた。力なく岩に腰をかける真太郎ツブテ。

「そんなとこに座るな! ケツの部分が傷むだろうが!」

遠くから怒号が飛んであわててとびあがるようにして立ち上がる。

「大丈夫?」

近くで聞こえた別の声に反射的にびくりとしたが、スリットの隙間からすらりとした足が視界に入った。
見上げようとして、猫背ぎみのコスチュームがそのまま後ろにそっくり返ってしまって、後ろに倒れた。
死にかけの蟬のようにただ手足をバタつかせるみっともない真太郎ツブテ。

手をひかれて起き上がりざま、ようやく未緒の顔が見えた。

「チャック、チャック」

うわごとのように声を漏らす。

「え、背中? 下ろすの? じゃあ。失礼します」

背中からジジイイイイと音が響いて、冷えた空気が流れ込こみ、真太郎を少し落ち着かせる。

「この姿のまま死んでもいいかなって。役立たずの末路はこんなもんさ」

未緒は浮かんだえくぼをすぐに消して、

「私も役立たずだから。何にも言えない」

素顔のヒーローたちの出番は終わったらしく、未緒は私服に着替えていた。
足を出していたのは衣装だけかと思ったら、私服でも生足だったことに真太郎はどぎまぎする。

昼間は暖かかったが、午後になって陽がかげってくると、風の冷たさが身にしみてくる。

「寒くない? その恰好。もしよかったらこれ着る?」

そう言ってツブテのコスチュームを脱ごうとする真太郎だったが、

「うん、いい」

渾身のジョークはさらりとかわされてしまった。

風がいっそう冷たくふきすさぶ。

「今日はもうおしまい?」

こくりと頷いてお疲れさまでしたと丁寧にお辞儀をする未緒。

「僕もある意味もうおしまいだよ」

みじめにつぶやく真太郎の背中を未緒がバチンと叩いた。ぎょっとして振り返ると、

「また来いよなっ」

真太郎が黙っていると、もう一度、

「また来やがれよ」

そして、えくぼがきゅっと深くなる。

「来てくれたら、私のドジが目立たなくなる」

そう言うなり手を合わせて、ぎゅっと目をつぶり半泣きの顔つきで、

「いやホンマ、お願いしますわ」

くるくると表情をかえる未緒を、真太郎は、ただ呆然と見ているだけだった。

じゃ。

そう言い残してロケバスに走っていく未緒は、真太郎の必死の願いむなしく、もうこっちを振りかえらなかった。

「よお、カワイ子ちゃんにおチャック降ろしてもらったかい。やらしい野郎だなあ」

そう言いながら仕込みの仕事を終えた梶やんが、機材を担いで近づいてきて、崖下を指差す。
灰色に変わった空を映した池が、鏡のようにしずんでいる。

「今日は予定にないけど、びしゃびしゃになりながらあそこでもよくバトルの撮影するんだよ」

「知ってますよそんなの」

何の話だろうと思いながら、真太郎は返事を返す。

「真ん中あたりはけっこう深くてよ。テラの野郎が新人の頃から、あそこはずーっと池だ。春先はいっぱいオタマジャクシ、あれ? オマタジャクシ、どっちだっけ? どっちでもいいや」

どうやら梶やんは昔の事を思い出しているらしい。

「ここは石切り場だからよ。変わってないようで、変わってるんだ。昔とくらべりゃだいぶ拓けたもんだ。あの池も、石を切り出した跡に雨水がたまってできたんだけどよ。テラも新人の頃、ミズスマシだかゲンゴロウだかの怪人やって。あれ? アメンボの怪人だっけかな」

そう言って機材をおろし、妙な動きを見せはじめる梶やん。

「こういう奴って、なんだ? ミズカマキリか」

「さあ」

「あれ、なんだっけかな。こういうのだよ、ホラ」

また動いてみせる梶やん。

「とにかく怪人なんですよね」

「ああ。テラが怪人でよ。ミズ・・・ええと、こういう」

とまたへんな動きを見せようとするので、

「テラさんがなにかミズのムシの怪人なんですよね」

「いやミズムシじゃねえよ」

「わかってますって、その怪人が何ですか」

「テラの野郎、怪人のくせに生意気でよ。それでこれだよ」

と、梶やんは真太郎の背中をつつく。

「チャックだよ。チャック。生意気でいけすかねえ新人のチャックを降ろしてくれるような奴はいないんだ」

真太郎は返す言葉が見つからない。

「ふつう、カットがかかると、手の空いている奴が走ってって、かぶりもん連中のチャックをおろしてやるんだ。一刻も早く楽にさせてやりたいからさ。昔のかぶりもんって奴は、暑いわ息苦しいわ臭いわでやってられなかったからよ。だけど、テラのチャックをおろしてやる奴はいなかった」

「かぶりもん、ですか」

「そうよ、昔はみんなかぶりもん、スーツとかコスチュームとかそんなシャレた言い方なかったからよ」

さっきまで怪人姿でうろうろしていた自分を思い出す真太郎。

「わざとほったらかされてるのわかってっから、余計にキレちまって。そうなりゃまたほっとかれる。怒ってもふてくされても、怪人の格好だから、これが却って面白れえのよ」

また池の方角に目を移す梶やん。

「土が赤えだろ。あっちもそうだ。濡れると滑るんだ」

梶やんがスニーカーの底で地面をひっかくようにすると、粘土質のきめ細かい層が現れた。雨でもふって水浸しになればここも滑りそうだ。

「怪人のかぶりもんは、ウレタンとかスポンジみたいなもんだから、水吸うと重いんだ。上半身がごてごてしてるやがるから、水の中だとひっくりかえっちまうのさ。ふんばっても土が滑ってどうしたって戻れない。上が下になっちまってよ。なんていうんだっけ、こういうの、シンロクだっけ?」

梶やんは鼻をつまんで上げた片手をひらひらさせて見せる。

「シンクロ」

ご名答とばかりに指を突き立てる梶やん。水を吸って重たくなった着ぐるみに、ただでさえ少ない空気。濁った水の中、光さえ届かない。想像するだけでぞっとする。

「現場で死人出すわけいかないから、死なない程度にシメてやるのよ。水中撮影だって最初っから決まってたのか、現場で生意気な奴がいたからそいつをシメるために急に水中撮影やることにしたのかはわからない。今となっては」

それじゃあ集団リンチだ。

「梶やんさんもやってたんですか」

真太郎が恐る恐る聞くと、梶やんは満面の笑みで続ける。

「池から出してやっても、上半身はたっぷり水吸っちまってるから立てやしない。カビくせえ空気を必死に吸って、誰か気の向いたやつがチャックを下ろしてくれるまでその辺で転がってるしかないんだもんなあ。面白かったよなあ。懐かしいなあ」

いい思い出のように梶やんが語るので、真太郎は何も言えない。

「演者にとっちゃあ、チャックってのは、社会の窓どころか、命の窓だ。チャック上げてもらうのも、下ろしてもらうのも、自分一人じゃできねえってこと。仲間が必要ってこと。この意味わかるか?」

「絆、ですか」

「ばーか。ニンゲンは後ろに手がついてねえって意味だよ」

梶やんは機材を担いで去っていった。

真太郎は急にテラの顔を見たくなって、小仏のところに戻った。

「テラさんは?」

と聞くと、小仏は駐車スペースに止まった一台の大きなロケバスを指さす。

「シリーズの最終回に登場する、カイザープラチナムのコスチュームができたから、フィッティングに行ってるよ。今日テラがやってたガンセキカーネルみたいに、視界が悪かったりするのも困るだろ。テラはワルの注文は細かいよ」

「大変ですね。撮影しながら次の同時進行なんて」

「大変? どうして?」

首を振る小仏。

「うれしいもんよ。だって全部自分に合わせたオーダーメイドだよ。あたしが今やってるプリーステス・マグマなんて、けっこう細かくフィッティングしたもんよ。こっちもいろいろ注文してさ。なんせ一年間出続けるレギュラーキャラだろ。あたしの身体にばっちり合わせてる」

なんだか自分の恋人の話でもするように生き生きとした小仏を、真太郎は不思議そうに見つめた。

「ショーのスケジュールとかち合っちゃってどうしても撮影いけないときは、それを別のやつが着るんだけど、それが嫌でね」

顔を引きつらせる小仏。

「嫉妬心みたいのが出てくんの。ホントだよ。けっきょく調整がつかなくて別の奴が着るとさ、次にまたあたしが着たときに、なんか変な感じするの。別の奴の体型に合わせてどっかが伸びちゃったりしてるんだと思うけど、そういうこっちゃないの」

ごくりと唾を呑んで、薄気味悪い穴の中でも覗くような顔で小仏は言う。

「なんか微妙に気持ち悪いんだよ。自分の身体の皮がさ、全部よそさまの皮になっちゃったような感じなんだよね」

ああーいやだいやだ。頭をふって、嫌な記憶を追いやるように屈伸運動をはじめる小仏、もうじきプリーステス・マグマの出番らしい。

それにホラ、腰を回しながら、大事なことを言い忘れたみたいに付けたす。

「フィッティングに呼ばれるってことは、次もまた出番があるってことだからね。だから大変じゃなくて、うれしいんだよ」

ウォーミングアップの続きで軽くジャンプした小仏は、ようやく真太郎がツブテを脱いでジャージ姿に戻っているのに気づいた。

「お前、コスチューム脱いだのか」

えっ、という顔の真太郎。

「脱いじまったらこのあと出番どうするんだよ」

よくよく周りを見渡せば、他にもツブテたちはいた。チャックを降ろして上半身はアンダーウエア姿になって、その上にジャージを羽織ったりはしているが、号令がかかったら、すぐさま元のツブテに戻れるようなスタイルをしていたのだった。

完全に人間の姿に戻っているのは真太郎だけだった。草原を木枯らしがなびいて、真太郎は急に寒さを感じて身震いする。

「いやあ、もう迷惑をかけるだけなんで、おしまいにします」

ポカンと聞いていた小仏のこめかみにちりめんのスジが浮いたと思うと、急に大声で、

「おしまいにするかしないかはお前が決めることじゃないんだよっ」


間もなく、テラのフィッティングが終わった。

すかさず、またガンセキカーネルに扮したテラと、変身後のヒーロー五人とのラストバトルの撮影に入った。その途中から、小仏扮するプリースマス・マグマが加わった。

ツブテたちもバトルに参加したが、真太郎の判断は正しかったようで、誰も着替え終わった真太郎になにも言わなかった。

太陽がとろりとろりと崖の向こうに沈みはじめると、もう一つの太陽と言っても過言でないくらいの巨大な照明が焚かれ、撮影はあたりが暗くなるまで続いた。

しかし真太郎に声がかかることは、二度となかった。