第二章 泣くなシンタロー!今日も夕陽は赤いのだ

第26話 リミット

わるもn

それは、日曜日の二回目のステージ、十三時からの回で起きたことだ。

ショーの中盤、ツブテの一人とレッド真太郎が背中をあわせて、位置を入れ替えるアクションがある。

テラはメインステージで繰り広げられるそのアクションを奈落に設置されたモニターで見ており、アクションスタートの立ち位置が、いつもよりも随分手前に移動していたのが気になっていた。動くにしたがって二人はどんどん前に出て、ステージの前縁近くまで来てしまった。

「おい。見えてるのか」

そう独り言が口をついて出た。

他の面々も、不穏を察したのか、モニターに集まってきた。
モニターで見ていると余計に分かるが、アクションに迫力がない分、照明や音響が補おうとしているのか以前よりも派手になっていて、この場面は、通常の照明の他に、ストロボ照明が焚かれるようになっている。

ストロボが視界を奪うことはテラも良くわかっている。

そのせいか、レッド真太郎はいつもよりも余計に足を踏み出した。その半歩手前にいたツブテは、ステージから足を踏み外してしまった。

「待てっ!」

思わず大声をあげた。大音響のBGMで客席には届いていない。

ツブテは後ろ向きのまま、一メートル六五センチ下のダウンステージに頭から落下した。

奈落を飛び出したテラは袖に走った。

しかしツブテは短い距離にも関わらず、みごとに受け身を取って背をまるめて転がり、大事には至らなかった。

袖にたどり着いたテラは胸をなでおろした。最前列で見ていた観客は、背中からの落下を迫力のアクションだと思って声を上げて手を叩いていた。



「それは気がつかなかったなあ」

テラの報告をさほど関心なさそうに山際は聞いていた。

「撮影現場に連れていったりしたのが、却って力みすぎてるんじゃないかと」

「成長過程ってこと? でも、その成長過程で大きな事故があったらまずいよね」

どうやら山際は、真太郎の査定に入っている。テラは身を乗り出した。

「動員はどうなってますか。空席は減ってませんか」

テラは、真太郎を迎え入れてから、より客席の様子を気にするようになっていた。

「動員ねえ、そんなに変わらないけどね」

山際は、動員一覧表をパソコンで眺めつつ、メガネの隙間からテラを見やった。

「砂川のときよりも、ちびっこたちの受けがずっと良くなってると思うんです」

間髪入れずテラが言うと、山際はあくまでのらりくらりと、

「それは分かんなかったけどね」

「握手会の参加者、増えてませんか」

テラの言葉に、山際は別のリストを呼び出す。

「うん。握手会は、そうみたいだね。アクションは劣ってるのに、なんでだろうね」

「砂川は勘違いのスターオーラなんか出しやがって、チビッ子を寄せ付けなかったんですよ。真太郎のアクションはヘボですけど、親しみがあるんです。実際に上演中の応援はものすごいですから」

「親しみは大事だよねえ。握手会だって有料だから、実入りはあるけど。でもそれはあくまでオマケなんだよなあ」

山際はもう一度テラの顔をじっと見つめて、口を開いた。

「よねみっちゃんにね、もう一回頼んでみたんだよ。この際ジェットさんじゃなくてもいいからスケジュールとれる人いない?って。もちろん身体が動いて、コスチュームが着れて、愛がある人だけど」

「スポンサーは?」

テラの声がうわずった。

「あいつは、ももちゃんハムのごり押しじゃないんですか」

それはねぇ、と山際が失笑する。

「こっちが勝手に気を回してそうしちゃっただけだから。なんだか社長の方が恐縮しちゃってね。社長だってショーが生易しいもんじゃないってのをわかってるから、新人がそんな大役なんて申し訳ないって。ジャーキー、いっぱい届いたでしょ」

そう言うと、山際はテラに顔を近づけて、少し声のトーンを落とした。

「ホント言うと、真太郎くんがさ、すごくジェットに入りたいって言ってて、それで無理いって入れてもらったんだって」

「そんなことは分かってましたよ」

吐き捨てるようにテラは言う。

「社長は音を上げてすぐやめると思ったらしいのよ。人生経験ってことだね。それで戻ってきたら本社で引き取るつもりだったんだって。でもこっちがヘンに気を回しちゃって、抜擢なんかしちゃってさ」

奥歯を噛みしめるテラ。

「だからいいんだよもう。こっちは恩義は売ったんで」

テラは顔を上げられなかった。上げれば山際をものすごい目でにらんでしまうだろう。

「でもいいと思うんだ。この経験は今後の糧になるでしょうよ。ヒーローまでやった子が、大スポンサーの重役になって、ゆくゆくは社長になることだってありうるんだから」

山際の視線を避け、テラは上を向いた。

「あいつは、あいつなりに成長してるんです」

その言葉を待っていたように山際は言い放つ。

「だって高いところダメなんでしょ」

テラは目を閉じて大きく息を吸った。

「そんなのありえないよ」

テラは顔をあげることができなかった。

「今日、テラさんだけに来てもらったのは、真太郎くんの面倒はテラさんが全部見てるからさ。他の人は真太郎くんがクビになっても何も言わないと思うんだ。でもテラさんは違うでしょ」

テラは、山際の目をいったんまっすぐ見てから、机に手を突いた。

「あとひと月、いや! あと二週間、時間貰えないですか」

山際は口をすぼめて小さく息を吐き、メガネをはずした。引っ張り出したティッシュを薄く二枚にはがして、その一枚でレンズを丁寧に拭きながら、

「事故が起きたらどうするんだよ。昨日だって危なかったんじゃない」

「それはもう、万全の体勢で」

「いや。あのね、簡単に言ってくれちゃうけど、責任取るのはこっちなんだよ」

山際の声は、驚くほど落ち着いていた。

今はただ、顔をあげて山際から目をそらさず、じっと見つめるしかないテラだった。

山際が視線をそらせてメガネをかけ直した。なんだか面白そうに口をゆがめる。

「変だなあ。テラさんさ、真太郎くんを使うの、いちばん反対したと思ったんだけど」

テラは床に目を落としてつぶやいた。

「あのときは誰も賛成してませんでしたから」

山際はメガネの奥の目を丸くして、

「人っていうのは変わるもんだねえ」

なんだか大発見でもしたように言う。山際は小さく息を吐くと、

「じゃあこれから二週間。土日で五回だから合計十回か。予定空けて毎回見ないわけにはいかないね、こっちも責任あるんだから。その代り二週間だからね」

テラは立ち上がって、腰骨が音を立てるほど、深く深く頭を下げた。