第二章 泣くなシンタロー!今日も夕陽は赤いのだ

第29話 雨模様

わるもn

ふと気づくと、スタッフたちが上空を見上げている。

空を仰いでいたキャメラマンが、上を見たまま、おい避難するぞ。と告げて、助手と共にスタジアム外周の屋根の下に移動しはじめる。

それを待っていたように雨が降り出す。スタジアムの渡り廊下の張り出し屋根の下に機材を運び込むスタッフたち。皆が避難をすると、雨足は収まるどころか強くなった。助監督が大声で告げる。

「予報だとじきに止むらしいので、待機しまーす」

小仏が仏頂面で近づいてきて、真太郎の背中のチャックを降ろしてくれた。

「ひと息いれな」

そう言って、ケータリング置き場の飴を物色しはじめる。

コスチュームの背中から顔と肩を出して、手を抜いた。明け方に羽化する蝉のようなスタイルでぼんやりと、激しさを増す雨だれを見ていると、

「おうおうヨゥ、おうヨゥ」

いまや親しみさえ感じるようになったキンキン声が、またも背中に届く。

顔を向けると、真太郎と同じようにコスチュームから上半身を出した、人のよさそうな、おじいちゃんがニコニコして立っている。まさしく好々爺。これがキンキン声のオミさんの、「変身後」の姿なのか。呆気にとられる真太郎。

しかしオミさんは、真太郎のショックなど知る由もなく、しわだらけの顔を、さらにくしゃくしゃにしてみせた。

「オミさん、すいません、ウチの新人がいろいろ迷惑かけちゃって」

小仏がまだ飴を気にしながら声をかける。

「いいんだよーゥ、んなのはよーゥ。助け合いじゃねえかよー」

と怒鳴ったあと、素早くまたこっちを向いて、

「聞いたけどよゥ。きっさまはよーゥ。ショーでレッドやってるっちゅうのは本当かいや」

「はい。まあ」

頷く真太郎。

「驚天動地だ」

そうつぶやいでオミさんは無表情で、

「期待されちめえやがってえやあ」

真太郎の背中を軽くぽん、と叩いた。その軽さが、かえって真太郎には重たく感じる。

「すいません」

「なんであやまんのや。あやまんのは、ひとに迷惑かけた時だけにしときいや」

真太郎は黙って頷く。

「なんで来とんのやココに。そんな、エース中のエースが」

「ショーは土日だけなんで、平日は暇なんです」

「そんなことはわかっとんの。俺だってショー出たことあるもん」

「そうなんですか?」

「んなもん。出たにきまってんやの」

また顔をくしゃくしゃにするオミさん。

「理由よ、理由。簡潔に理由を述べよ」

「理由ですか? 理由。ええその、やはりその、諸先輩方が経験しているような、様々な現場を自分から見聞きして、体験してこそ・・・」

オミさんの長くて白いため息が、屋根の下からたなびいた途端に雨にまみれて消えてゆく。もうオミさんの耳には真太郎の言葉は届いていないように思えて、真太郎は話すのをやめた。

「今日、雨降るって言ってたんかいなあ。洗濯物だしっぱなしだなァ」

身体半分怪人の姿で、こんなに生活感たっぷりな事を言っていいのか。オミさんの声のトーンが急に低くなった。

「ユマちゃんの天気予報じゃあよぉ。傘持ってって言ってなかったんだよなや。アメダスだって水色ぜんぜんなかったしなや」

なんだかかぼそい声だった。

「あした、履く靴下もう無いやなあ。あしたは一日、裸足だぁな」

声をはってないオミさんは低いかすれ声で、どこからどうみても完全なおじいちゃんだった。

「あのですね、ピンクをやってるコにまた来いって言われちゃって」

オミさんが振り返ってこっちを見た。半分怪人の真太郎の、つま先から頭のてっぺんまで二度ほど視線を往復させたかと思うと、みるみるうちに顔がくしゃくしゃになってゆく。それはさっきの人なつこいくしゃくしゃとは別のくしゃくしゃだ。とてつもなく低い声で、

「女に言われたらなんでもすんのかいやァ」

言うなりオミさんが高くジャンプして、足を蹴上げた。真太郎が思わず腰をかかめると、その頭上のはるか上を、オミさんの伸ばした右足がぶうんと通り過ぎる。

ちゃっ。

背中を向けて着地するオミさん。

何が起きたのかよくわからず、固まっているままの真太郎を残し、オミさんは能面のような顔になって、つかつかと離れて行った。

雨がいっそうひどくなってきた。

ジャージ姿になった小仏が急ぎ足で真太郎の前を過ぎていこうとする。

「なんかありました?」

小仏はせわしそうに足を止めると、


「まだ止まないみたいだから、予定を繰り上げてフィッティングってことになったの」

「そうなんですか」

ロケ車の止まっているあたりを見ても、その様子はうかがえない。

「よくあるんだよ。こういうことは。あたしゃ長いから言われなくても雰囲気でわかるの」

「楽しみですねえ。次のシリーズ」

真太郎の声が響きすぎたらしく、あわてて人差し指をたてる小仏。

「声が大きい」

小仏は、キャスト待機用のロケバスをちらちら見ながら、

「次のためにこちらの時間をお借りするんだから、遠慮がちにいかなきゃ。ほんとにあんたは気ぃ遣えない子だね」

ひそめてはいるが、弾んだ口調の小仏は猫のような足取りで、フィッティング用に止まっているワゴン車に向かっていった。

小仏を見送ってため息をつくと、息の白さがいっそう増している。暖かいコーヒーが入っているポットが置かれた机に目が移ると、いつの間にかロケバスから出てきていたのか、未緒がケータリングのお菓子をあさっている。

「なんかひどくなってない?」

真太郎が雨音に負けないように声を張ると、未緒は、お菓子あさりの手を休めることなく、

「こういうのも良くない?」

「だって、せっかくアクションとかもできるようになってきてるのにさ」

「このなんにもない時間が好き。いろいろ考えたりして。でもそういう時に、お菓子は必要」

チョイスしたビスケットを口に放り込む未緒。

「ちょっとしけってら」

続いて飴を取り上げ、包みをほどきながら、ロケバスに目をやる未緒。

「みんな寝ちゃってるんだ」

カーテンが引かれたタレント専用のバスの中は見えない。大きく伸びをする未緒。
真太郎もつられて伸びをする。

「真太郎はヒーロー好きなんでしょ」

呼び捨てにされた動揺を隠しつつ、

「もちろんだよ!」

「信じてる?」

強く頷いた真太郎に未緒はすう、と息を吸って、

「あたし、ヒーローに救ってもらったことあるよ」

「僕も救ってもらった!」

「ホントに?」

未緒の顔が輝いた。

ヒーローショーに通い詰めたおかげで今ここにいる。未緒に今すぐ聞かせたい気持ちをぐっと抑えて訊く。

「未緒は? 救ってもらっていうのはどういう?」

「私の話、信じてもらえないから」

「そんなことないって。話してごらんよ。どんな話? いつのこと」

雨音が強くなった。白い吐息の未緒がいちど口を結んだ。そして、

「子供のころにね、なんか怪人かな。毛むくじゃらのに襲われそうになって、レッドに助けてもらったことあるの」

声を乗せた呼気が、冷たい雨にかき消えた。その目をじっと見た。
美緒の顏は、からかっている顔ではなかった。