第三章 タケルよ嗤え! 真夜中の牙をむけ

第32話 男の帰還

わるもn

ONE WEEK AGO――

LA発DL33便、霧にむせぶNARITA。

男は、三年ぶりにHOME GROUNDの地を踏んだ。

MIDNIGHTのロビーでは、家族旅行の帰りか、高価なDIVER WATCHの腕に、お土産の袋を下げたチビッ子が奇声を上げて走りすぎてゆく。

男は、リルビッチ。とつぶやいて、TERMINAL出口へと向かう。

割増のランプを灯したCABに告げる。

「ビジネスでもどこでもいい。眠りたい」

翌日、かの遊園地に足を運んだ。

あの頃から比べるとずいぶん垢抜けている。一番の違いは、野ざらしだったヒーローショーの施設が屋根のある劇場になっていたことだ。

劇場支配人は、男を満面の笑みで歓迎した。

「何年ぶりかな? ちょっとやせた?」

男の名は高千穂武尊。かつてジェットアクショングループにも所属していた俳優だ。

「『カウボーイ VS.NINJA VS.ゾンビ』だっけ? 見たっていう人、わたしの周りにもいたみたいだけどね」

武尊が海のむこうで出演した映画の一本だ。

「DVDのジャケット、ネットに上がってたけどいかにも面白そうだね。他にもすごいやつにいっぱい出てるんでしょ」

支配人の山際にそんな風に聞かれて、いやあ、ハリウッドはなあ、などと武尊は言葉を濁してみたりする。

「まあ、さんざん引き止められました。プールつきの家がどうとかいう輩はいますが、俺はそんなもんはどうでもいいんですよ。そんなことより俺はあっちで挑戦するものがもう、ないんです。日本人の役ったってね。あっちは全部ワンパターンですよ」

武尊の饒舌っぷりは収まらなかった。なにしろ、日本人相手に日本語で思う存分しゃべれるのは本当に久しぶりなのだ。

「へえ。そうなんだ。ふーん」

「あっちの空の下で俺は、わかったことあるんです」

そう言って武尊は顔を上げて、山際の顔をまっすぐに見た。

「アイ・アム・ア・スーツアクター。俺の原点は、スーツアクターだってことをね」

そのあとも武尊は、いかに自分がスーツアクターという仕事に誇りを持っていたかを、スーツアクターという仕事が素晴らしいかということを、途切れることなくしゃべり続けた。
孤独に塞がっていた口は決壊し、あとからあとから言葉が溢れてくる。向こうで唯一身につけた、オーバーアクションと共に。

「ふーん、そう。そっかそっか」

武尊の話に区切りがつくのを待って山際は切り出した。

「実はちょうど、レッド役を探さないといけないねっていう話をしていたんだよ。今、ショーでレッドやってる子がなかなか慣れなくてね」

山際は、砂川の怪我にはじまる新人抜擢の経緯を話した。武尊の顔が紅潮していく。山際の手を握って、

「山際さん。俺の残りの人生を、あんたたちのショーに賭けさせてくれませんか」

山際が握り返した手を武尊はいっそう強く握った。

「いやあ、ステージで伝説のレッドがぶつかり合うわけだから、こりゃファンはたまらないね」

山際の言葉に、無理いって出してもらった玄米茶をすする武尊の目がいぶかしげに細まる。

「伝説のレッドって?」

「テラさんだよ。出てるんだよ。ワル役で」

武尊は固まった。

「テラって、飛葉辰仁のことですか?」

山際は頷く。

「テラさんっていったらテラさんでしょう」

武尊は、玄米茶を一気に飲み干した。

伝説のレッドのはじめての共演。

そんな想像でもしているのか、山脇は、にんまりと口角をつりあげている。


金曜の午後。武尊はヒーローパルテノンのステージに足を踏み入れた。

「なっつかしいなあ」

「あんたがここにいた時は、ここはおんぼろの野外ステージだったんだけど。それでも懐かしいもんか」

トップステージに立って、スピーカーのチェックをしていたミツノリさんに向かって、

「懐かしいですよ。俺だってジェットに入りたての頃、セフティ修行したんですから。遊園地に毎日通ってたんだから」

山際の独断で、高千穂武尊のレッド抜擢が決まった。

テラは食い下がったが、やっと普通のアクションがこなせるようになった程度の真太郎と武尊では、比べるまでもなかった。

真太郎に肩入れしはじめていたスタッフも関係者も、武尊の登場には皆冷やかだった。

まるで侵略者でも見るような目を全身に受けつつ、ダウンステージの階段を駆け上がってメインステージに立った。客席を見渡す。

「やっぱり前の野外劇場(やげき)んときと作り、似てるわ」

武尊とは初顔合わせになる舞台監督の名越が、問題ないですか? 
と作業の手を休めず、至ってフラットな口調で聞いてくる。武尊は大きくうなずいた。

「エブリシング・オッケー」

上手から上に向かう階段を一足飛びに駆け上がった。トップステージの回廊に足を踏み出す。

座席にはまばらに人々が腰かけている。皆、白けた様子でこっちを見上げている。

作業中のブースからサーチライトが照射された。武尊はおどけ気味に、照射から逃れようとする脱獄犯のように、フェイントをかませながら上手下手に移動してみせる。

「見てみ。逃亡犯だ」

照明ブースで、サーチライトのハンドルを握るイノさんが、小ばかにしたように助手に漏らす、

「なんですか」

「あいつがハリウッドに渡った理由はサクセスじゃなくて、エスケープって事だよ」

おどけて逃げる武尊をなおもサーチライトで追いかけるイノさん。

「あいつ、レッドをやってた頃から、女がらみの問題をずっと起こしててやがって。何回目かのシリーズのピンクに手だしやがって。その女、実はスポンサーの女でな、にっちもさっちもいかなくなって、逃げた先がハリウッドだ」

「そんな事ってあるんですか」

安っぽいドラマ設定のような事実に助手は絶句する。

「たぶんあっちでも、パツキン女に手ェ出して、そいつがマフィアの情婦かなんかで、にっちもさっちもいかなくなって、こっちに逃げてきたってな感じだろ」

「イノさんか!」

手でひさしを作った武尊がブースに向かって叫ぶ。

サーチライトのシェードをパカパカ開け閉めし、バッシングを送ってみせるイノさんがボヤく。

「全く、伝説のレッドだぜ」

「やっぱり舞台は最高だな」

見習いの頃にほんの少しヒーローショーの手伝いをしていただけにも関わらず、そんなことをつぶやいた武尊は、目つぶしのようなまばゆい光の向こうの満杯の客席を思い浮かべる。

長いこと誰からも見られていなかったアメリカ生活がよぎる。

その時の孤独と比べれば、この冷たい視線などなんでもなかった。武尊は鼻の奥につんとするものを感じて、あわてて頭上のライトを見上げた。胸に大きく息を吸いこんで、

「高千穂武尊! ずっとあこがれていたこのステージに立つことにあいなりました。俺が来たからには、もう任せてくれ。みんなで力を合わせて最高のショーを作りましょうや!」

まばらな客席から、さらに間引かれた拍手が起きる。からかいの響きにも聞こえる。

あー、そうだそうだと、武尊はあたかもどうでもいいことのように続ける。

「どこで聞いたんかな。なんか妙な女がここに来たらしいけど、俺とはぜんぜん関係ないんで、気にせんでください」

「気になんかするかよ」

聞き覚えのある声に目を細めて、客席に視線をめぐらせる。

少し上手の真ん中あたりのシートに、男は座っていた。

その男が昔よりも小さく見える気がするのは、劇場が広いからか、それともそばの席にやたらとでかい野郎が座っているからだろうか。

その大男は黒づくめの恰好からセフティだと推測できるが、あんなにでかい奴が狭い奈落をうろうろしているかと思うと気がめいる。

小さな目を三角にいからせたジャンボセフティから目をそらして武尊は朗らかな声を上げる。

「テラさん、久しぶり。何年ぶりだ」