第三章 タケルよ嗤え! 真夜中の牙をむけ

第33話 男の再会

わるもn

「何年ぶりかなんて、そんなのはお前が覚えとけ」

相変わらずなテラの口ぶりに、武尊は日本に帰ってきたのだということを改めて実感した。



奈落のベンチに、真太郎がぽつんと腰をかけている。小仏がやってきて隣に座った。
「言われたんです」

「誰に。なにを」

「パパに」

真太郎は悔しそうにつぶやいた。

「レッドをクビになったんなら、ジェットを辞めて会社で丁稚奉公しろって。もう充分いい経験したから気が済んだろって。重役になってまたショーに関わればいいだろって」

いけすかない言い回しだが、小仏は口調を変えずに聞いた。

「お前はなんて言ったんだ」

「辞めないって言いました」

うつむき加減のまま真太郎はつぶやく。

「やらせてもらってないことが多すぎるんです。レッドじゃなくなったのは下積みからちゃんとやり直すいい機会なんだって。全部こなさないとちゃんとショーに出たことにもならないって。重役になっても意味が無いってそう言ったんです」

またもいけすかない言葉が混じっているが、小仏は頷いて、

「そうかい」

ぶっきらぼうに言って真太郎を立ち上がらせた。

「いくよ」

「どこにいくんですか?」

「奈落から這い上がるんだよ。あんたには、まだやんなきゃいけないことがある」

小仏は奈落を開けるハンドルに手をかけると、真太郎に低く声を飛ばす。

「ほら、あんたもそっち持って」

ハンドルを握る二人が息を合わせ、奈落の蓋が、低いローラー音を響かせて開きはじめる。

ゴゴゴゴゴゴゴ! 

ステージが振動する。トップステージに立っていた武尊は、思わす飛び退いて、壁に背中を密着させた。

客席がざわついた。テラも伸びあがる。

大きく開いた奈落から、よっこらしょ、の声と共に、小仏が身も軽く飛び出してきた。

武尊が動揺を隠すかのような大声で下方に呼びかける。

「久しぶりじゃないのこぼさんよォ。派手な登場してくれちゃって、俺の復帰が霞んじまうじゃないかよ」

小仏が少しだけ、首を上の方にかしげる。

「こぼさんがまだまだやっててくれてっから、俺も心強いからよ」

小仏は武尊の言葉に応えるでもなく、奈落穴の淵のあたりに立っている。

「知ってる奴がいてくれた方が、座長としちゃあやりやすい。歓迎すンぜ」

武尊は満面の笑みを下方に向けた。小仏はようやく、首を上に向けて、武尊を仰ぎ見た。

そして、言い放った。

「あたしァ降りるよ」

騒然となった客席からテラが声をあげる。

「そりゃどういう意味だ」

「次のテレビシリーズにあたしの役がなかったんだ。現場でフィッティングが始まってたんだけどね、行ってみたら、あたしが演じるキャラクターは用意されてなかったんだ」

小仏の面持ちは清々としていた。

「決めてたんだよ。レギュラーでお呼びがかからなくなったら、潔く身を引こうってね」

「だからって、ショーまで降りることはないだろうよ」

テラの声は、かすかに震えていた。

「引き際なんだ。わかるだろ?」

「わからないね」

テラの声が急に小さくなった。

小仏はそんなテラに、ふっと笑みを向けたと思うと、首をかしげて奈落の暗闇に声をかけた。

「出ておいで」

ぎくしゃくとステージに這い出してきた真太郎を、テラは血の気の失せた顔で見やった。

武尊は、立ち姿さえもおぼつかなくみえる青年に、まるで顕微鏡で得体の知れない生物でも発見したかのように、なんだそれは? とつぶやいた。

「百地真太郎は、今日からあたしの後継者だ。次からは、この子がピンクの中身に入るよ」

小仏は直立したままの真太郎の肩に手を置いた。

その手の温かさに、ハッと目が覚めたように姿勢を正した真太郎は、深々と頭を下げた。

「ひとついいかい」

小仏が上を向いて声をあげる。

「あ、なんだ。俺に言ってるのか?」

武尊が素っ頓狂な声をあげて下を覗きこんだ。

「あんた、舞台に立つのはじめてなんだろ」

武尊は、いいやと首をふって、

「新米の頃は、ショーでセフティやらされてたし、その時に、何回もザコ役で出てたからよ」

小仏は冷ややかに笑って、

「そんなの初舞台といっしょだ」

そう言って、真太郎を見やる。

「この子はね、はじめてここに立った夏の終わりからこの間まで、合計七十五回、ここを踏んでるんだ。技量はあんたよりもずっと劣ってるのは間違いない。でも本人だって努力して、やっとこさギリギリだけど、レッドとしちゃあ並みのアクションができるようになったんだ。あんたはそういう男を押しのけて、横から主役をかっさらおうとしてる。それをどう落とし前つけてくれるんだい?」

その言葉をじっと黙って聞いていた武尊は、ふいに上を見上げる。

その姿勢のまま、両手を大きく広げて、天を仰ぐような姿勢を取った。


そのまま、武尊の身体は、切り倒された大木のように、前のめりに倒れこんで、身を投げた。まるで十字架に磔にされた罪人のような姿を保ったまま、落下してゆく。

危ない!

思いもよらぬアクションに客席の男たちは、息を飲んだ。打ち所が悪ければ完全に再起不能になる。

次の瞬間、奈落口の淵を過ぎるか過ぎないか、すれすれ数十センチのところで武尊は瞬時に身体をひるがえして奈落口をすれずれでかわし、背中からマットに沈みこんだ。

時が止まったような一瞬の静けさ。

間もなく、奈落脇の出捌け口から、涼しい顔をした武尊が現れると、凍り付いた空気がゆるやかに流れだす。

よほどの身体能力がなければこんなことはできない。

たった今、武尊が身を持って体現してみせた危険なスタントに、誰もが新しいレッドが見せるショーに思いをはせた。

メインステージ、奈落口の淵のそば、最も近い場所から、武尊のすさまじいデモンストレーションを目撃した小仏は言葉を失っていた。

真太郎も、奥歯も折れんほど噛みしめたまま、袖の鉄階段の手すりにしがみついていた。

ダウンステージの中央に進み出た武尊は、客席全体を見渡して言い放った。

「俺の知ってるこの世界は、昔も今も実力だけがモノを言う。違うか」

テラと目が合った。

ものすごい形相をして椅子から崩れ落ちかけているジャンボセフティ、水戸とは真逆に、テラの姿勢は、武尊が落下のスタントを見せる前と変わってはいなかった。

年季のきざまれた顔に浮かべた表情も、さっきと変わっていない。相変わらずのギョロの目の奥に宿っているのは侮蔑か、畏怖か、それとも別の何かか。

武尊にその瞳の奥はまだ読めないのだった。