〈伝説のスーツアクター、タケル・タカチホ、ヒーローショーでレッドに復帰!〉
そんなニュースをどこで聞きつけたのかはわからないが、特撮雑誌を小脇に抱えた〈スーツアクター〉マニアと思しき一団が、入場者の列に加わっている。
いったい誰がそんな噂を流したのか。
むろん武尊本人だ。
エクスレッドには高千穂武尊。
エクスブルー、エクスイエロー、エクスグリーンはこれまで通りだが、エクスピンクは小仏の後を継いだ、百地真太郎が扮することになっている。
新たな座組の『超絶戦士エクスチェイサー・ショー』が開演する。
台本の流れもこれまで通り。アクションの構成も大幅に変わったわけではないが、明らかに何かが変わったことを、観客は感じ取っているようだ。
レッド武尊のアクションは、登場からさすがにかっこいい。
真太郎が息をのんだのは、その名乗りを見た時だ。
「エーックス、レーッド!」
再生された音声の、聞き取れないほどのわずかな息づかいさえも見事にシンクロしている。
メリハリを利かせ、ケレン味さえ感じさせるレッド武尊の名乗りには、余計な効果は必要なかった。
しかし、最も打ちのめされたのは、そのアクションではなかった。
拍手だった。
観客の拍手が、真太郎の時とは全く違ったのだ。
拍手の大きさだけならば真太郎の名乗りの時の方が勝っていたかもしれない。しかし、武尊がまき起こしたその拍手は、完全にコントロールされていた。
名乗りの動きが決まると同時に、一斉に湧き上がった拍手は、直後の武尊のわずかな呼吸で手品のようにピタリと止んだ。それは、観客がレッド武尊の一挙一動を、一瞬も見逃すまいとして、呼吸まで同じくしていることの表れだった。
真太郎が名乗った時の盛大な拍手は、言ってみれば応援や声援なのだった。
バラバラと天気雨がトタン屋根にふりそそぐように始まって、畳んだ傘からしずくがいつまでも落ち続けるようにキレの悪い拍手が真太郎に向けられたものだとすれば、武尊が起こした拍手は、雨上りの森で一斉に鳴きはじめ、ある気配で瞬時にぱたりと消える蝉しぐれのような、すべてが一つの呼吸で統率されたような美しさがあった。
それぞれの拍手はまったく別の物だ。それでも真太郎は、武尊に大きな敗北を感じてしまった。武尊の名乗りと同時に、自分もピンクとして名乗りを決めなくてはならないことが、真太郎はたまらなかった。
クライマックスは、テラ扮するクロガネショーグンの登場だ。
二人がそろって宙に舞い上がって、お互い手にしたブレードで切り結ぶ。
切り結んだあとの旋回に、ブースから見ていたイノさんも舌を巻いた。
ふたりは切り結んでいったん離れ、旋回するが、それはまるで中心に鏡でも置いたように形、スピード共に左右対称の弧を描くのだ。
物理の法則だけに従っているかのような精緻な一致と、切り結んだ時の乱調のアクションが混然一体となっていた。
そのしびれるほどの見ごたえに、
「ここまでやられたらしゃあない」
ブースから見ていたイノさんも、そう口をすぼめて息を吐き出した。
テラと武尊は、事前の話し合いや手合わせなどやっていなかったにも関わらず、感動的で美しいアクションを見せている。
それは二人がこれまでのキャリアで得てきた技のぶつかり合いが、互いの意志とは関係なく、みごとなコラボレーションを生んでいるということなのだ。
テラと武尊が合わさって生まれるアクションが、自分とのそれとは違うことも、そして、どれほど素晴らしいのかも、真太郎には痛いほど分かった。



すべてが終わって場内が明るくなった。
見ていた人々から一斉のため息、その直後に異様などよめきが起こった。
それは、舞台上のできごとを追い続けた緊張と充実感の現れだった。
なにか神々しいものでも見たかのような大人たちの顔と、テレビの気軽さとは違う近寄りがたいヒーローの姿に、押し黙ってしまう子供たち。
もちろん、そんな雰囲気とは関係なくはしゃいでいる家族もいるが、全体的なムードは真太郎がレッドを演じていた時とはがらりと違い、異様なものだった。
その後の握手会に参加する家族は、異様なまでに少なかった。
親たちに「握手会はいいの?」と聞かれても、何も言わず胸に顔を埋める子供や、つかれちゃった、と言って先に出口へ向かう子供の姿は、それが生涯はじめてといっていくらいの強烈な体験だったことを示していた。
だからといって、畏怖した観客たちはその後、二度とヒーローショーに来ないということではない。
公演を重ねるごとにリピーター率は高くなり、大人だけの観客も増えた。
親の方が子供をだしにして来たというアンケートも多数あった。
あまにり見ごたえがありすぎて、子供たちが離れてしまったらと危惧していた山際も、家族連れのリピーターが増えていっていることに、胸をなでおろした。
「めっちゃ強くて超かっこいいヒーローを何度も見たいです。握手は結構。めっそうもない」
事務所でそんな感想をしたためた手紙や、アンケート結果などを見ながら、
「この体制でスペシャル公演を迎えたら、最高だな」
山際はそんな独り言をつぶやいてから口角をつりあげるのだった。
冷たい鉄の階段の隙間から下をのぞくと、明かりに照らされたステージが見える。
真太郎は、冷たく吸いつく手すりを固く握りながら、ジグザグに折られた階段を上に進んでいく。
階段の一番上まで上がりきると、ステージからの光はほとんど届いていなかった。網目状になった床板から差し込むあかりに慣れるまで、しばらくじっといるしかなかった。
ようやく目が慣れてきた。床板の両サイドに手すりを通した渡り廊下が田形に交差している。
人一人やっと通れそうな渡り廊下以外のところは下まで素通しだ。
ところどころ手すりが切れている場所がある。
そこを起点にしてキャストがワイヤーを使って降下したり、仕掛けを下ろせる仕組みだ。
廊下はステージ上空だけでなく、客席にも、中央通路と両脇の通路の上に張り出されており、突端まで進んで直下に降下すると、それぞれの通路の中ほどに降りられるようになっている。
上がってきた場所から一番奥まったところは少し広くなっているようで、ダンボール箱や資材などが積まれているようだ。そこに向かおうと足を踏み出す。
「勝手にあがっていいところじゃないぞ」
声がどこから聞こえたのかが一瞬わからず、真太郎は手すりをきつく握った。
暗がりの奥から、何も障害物のない体育館でも歩いてくるように、素通しをモノともしない足取りで磯貝が近づいてくるのが見えた。
「すみません」
「誰の許可を得てるんだ。キャストもセフティチームも、俺の許可なしに勝手にキャットウォークに上がるやつはいないんだ」
「知りませんでした」
「俺は、俺の許可を得てる。だからここにいる」
「すいません。戻ります」
そうはいっても、すぐに踵を返すことはできない。
ゆっくり慎重に、かかとをつけたまま向きを変え、手すりをいったん離して反対側の手すりにつかまって、などしているうちに、手すりを軽々乗り越えて、磯貝が目の前に立った。
「すいません。戻ってます。今、戻ってる最中です」
磯貝は真太郎が戻ろうとする先に位置どると、おもむろに腰を落とした。
格子状の廊下の板に尻を乗せ、足は隙間からぶらぶらと垂らした。真太郎は前に進めなくなった。磯貝と目を合わせるには格子越しに階下を見下ろさなくてはならないため、真太郎は顎をあげて目をそらして、
「あの、戻りたいんですけど」
「俺を乗り越えていきな」
「無理です」
「何しに来た」
「水戸さんに頼まれて」
「あー。怪人ってか」
「そうです」
「俺が怪人だよ」
「やっぱり。事件は解決です」
「そういうことでいいか探偵さんよ」
「はい。捜査本部、畳ませていただきます」
階段を一段ふみ降りるごとに、早鐘のような鼓動が落ち着いてくる。
何も見ず、何も調べず、言われるまま引き返してきた真太郎だったが、磯貝の顔がいつもと違ったことだけは見逃さなかった。
――何か隠している。