連日満員の観客の反応は上々だった。
それは、二週目から、通常のスペシャルステージでは行なうことのない握手会をやることになったことにも表れていた。
例年だと素顔のヒーローに注目が集まっているので、スペシャルステージでは変身後のヒーローに接する握手会の要望はないが、今回、アンケートや口頭のリクエストがたくさん寄せられたため、山際の判断で、急きょ実施することになったのだ。
「変身前と変身後のコラボがうまく行ってるってことなんだろうね。これはね」
そう分析しながら、握手を待つ長蛇の列に満面の笑みを浮かべる山際。
不機嫌さを隠そうとしないのが武尊だった。
握手会となれば、ショーに引き続いてレッドの中に入り続けなくてはいけないのだ。
ほかの変身後のヒーローを演じる面々は、いままでの経験があるが、武尊にとっては未経験の握手会だ。
それを知る者の目には武尊レッドの握手はぎこちなく、ぞんざいさが読み取れた。
しかし興奮する観客は、そんな事には気づいていないようだった。
「アリの行列かよ! 乞食みたいに並びやがって」
握手会を終えて、悪態をつきながら楽屋に戻ってゆく武尊と行動を共にする真太郎は、ひややかなまなざしを向けるのだった。
翌週の土曜日公演に、楽屋でちょっとしたいざこざが起きた。
その日の公演を総て終えたあとの楽屋を、面会者パスをつけていない二人組の男がうろうろしていたのだ。
男たちは勝手に楽屋やシャワー室などのドアを開けては謝りもせず、妙に座った目つきで見回して誰かを探している様子だった。
「おい、なんだ」
舞台監督の名越が、男たちに怒鳴った。
楽屋は水を打ったように静まった。
セフティメンバーたちが狭い廊下に隊列を組み、二人の男を睨みつけた。
警備員が警棒に手をかけながら走ってくると、「また来る」男の一人が表情を変えずに言って背を向け、事態は収拾した。
翌日の奈落は、その話題でもちきりだった。
「やっぱり武尊さんか」
噂好きのセフティメンバーと変身後のヒーローたちは、奈落ベンチに顔を寄せ合い、ささやきあった。
「でも日本に戻ってきてたいして日にち経ってないのに。もう取り立て屋が来てるってことか」
じっと話を聞いている中に、真太郎の顔もある。
「借金じゃないって事もあるだろ」
彼らがなぜ奈落で話しているかと言えば、武尊はよほどの用がない限り、ここに入ってこないからだ。
「真太郎を握手会で襲った女がいるだろ」
そうだった。
思い出した。
真太郎がレッドに抜擢されて、全てのアクションをようやくこなせるようになり、意気揚々と握手会に臨んだ時、いきなり襲い掛かってきた女。
彼女はレッドの中身を真太郎ではなく、武尊だと思い込んでいたのだ。
「あの女がらみで来たって事もありうる」
一同は頷いたり、首を傾げたりしてさらにいっそう顔を近づける。
「じゃなきゃ、海外逃亡前の借金の取り立てだろう」
武尊のハリウッド渡航は彼らの間で、完全に海外逃亡ということになっている。
「そうじゃないとすれば、海外逃亡前の女がらみでって事も考えられる」
ただれているに違いない武尊の私生活を、ああだこうだと言い合う一同の目は好奇の光に満ちていた。
「あんな人、ヒーローじゃないですよ。最低ですよ」
真太郎が大きな声を出したので、周りの面々は慌てて廊下をうかがった。
「まもなく客入れです」
名越の声が廊下に響いて、一同は持ち場に散った。
最低の男にレッドを奪われた真太郎のやるせない思いは、ピンクのマスクをかぶったところで消え去ることはない。
しかしその日の全ステージ終了後に、真太郎のやるせない思いは、もっと深刻なものになるのだった。
相変わらず好評の握手会を終えて、ヒーローたちが楽屋に戻る。
開き直ったのか、無言で足早に楽屋に戻っていくレッドの背中を睨みつつ戻る真太郎だったが、楽屋につくやいなや驚きの事態を目撃する。
「お疲れ様です!」
私服に戻った未緒がまっさらなタオルを手に、握手会を終えた一同に駆け寄ってくる。
マスクを外して微笑み返そうとした真太郎の顔が固まった。

未緒は、どうしたことか、その手のタオルをレッドに差し出したのだった。
「えっ・・・」
混乱しまくった真太郎の目に、レッドを見つめる未緒の姿が映っている。
レッドはといえば、マスクの下の表情はわからないが、なにがしかの驚きか、動揺のようなものがその立ち姿からうかがえる。
――ピンクを真っ赤っかに燃え上がらせちまうかもしれない野郎がいるんだよ――
先日のイノさんの言葉が、真太郎の脳裏に割れがねのように響き渡った。
真太郎が我に返ると、かるく頷いて未緒のタオルを受け取ったレッドが、足早に四番楽屋に戻っていくところだった。
未緒も帰り支度か、自分の楽屋に戻っていくところだ。
ほかの面々も何事もなかったかのように帰り支度をはじめており、もしかしたら、さっきのできごとは幻なのではないかと思えてくる。
そうであってほしい。
もし、そうでなかったとしたら。
真太郎はそれ以上、なにかを想像するのが恐ろしい。
「おい」
背後から声がするのも気づかず、マスクを外したコスチューム状態のまま、真太郎は呆然と佇んでいた。
「おい、お前!」
怒鳴り声に気付いて振り向くと、水戸が小さな目を三角にして鼻息荒く見下ろしている。
呆然としたまま、顎をしゃくった水戸の大きな背中についていくと、奈落のマットの脇の暗がりで振り返る。
「お前、パルテノンの怪人の件はどうした」
「ああ」
妙にやさぐれた声で真太郎は、
「あれは、磯貝さんです。本人がそう言いました」
「そんなの嘘に決まってるだろ」
「嘘ってなんだよ!」
真太郎のくってかかる勢いに、水戸は気圧された。
磯貝の告白には含みがあることはわかっていたが、今やそんなことはどうでもよかった。
「本人がそうだって言ってるんだから。疑うって言うんなら、一緒に行って聞きますか!」
気圧された水戸は目を白黒させて、
「わかったよ。わかったからさ、じゃあ、とりあえずそれはいいから」
妙にあっさりあきらめた水戸に、
「じゃあ帰りますんで」
背を向けた真太郎に、もう一度声がかかった。
「また事件が起きたんだよ」
水戸が後ろから腕を掴んだ。真太郎はそれを振り払って、
「どうせまた、どうでもいいような事でしょ」
「誘拐だぞ」
「・・・」
「誘拐事件だぞ」