第四章 走れミオ! その愛を信じるなら

第42話 張り込み

わるもn

昼休憩で出払っている人が多く、廊下は静まり返り、楽屋にいる者も少ない。

周囲に視線がないのを確認して、水戸が四番楽屋のドアを素早く開ける。

真太郎を引っ張り込みながら自分の身体を押し入れた。

テラの鏡前は相変わらずシンプル極まりない。

私物のバッグは椅子の上。

化粧台の上にあるのは、タバコの箱と、ティッシュの箱、タオルぐらいだった。

差し色の役を果たしていた真っ赤な首なし人形がないのでさらに殺風景だ。

テラの席の斜め後ろが散らかし放題になっている。

そこが武尊の指定席なのだった。

差し入れの包み紙や食べ残し、湿布のはく離紙が一緒になって山を作っている。

汗をふいてそのまま投げ出したタオルの上に栄養ドリンクの空き瓶が転がっている。

歯ブラシは机の上にじか置きされ、床に落ちたシェーバーは丸めたティッシュを枕にしている。

ひとりごみ屋敷とでもいえそうな有様に、水戸は舌打ちをする。

「毎朝掃除してやっても、これだぜ」

武尊の何もかもが気にくわないような口ぶりの水戸は、所存なく立っている真太郎に、鋭い視線を送る。

「手掛かりはありませんね」

「わからないのか? テラさんの人形を奪ったのは武尊だ」

理解不能なことを言い出した水戸に真太郎は呆気にとられた。

「武尊があの人形を人質にして、テラさんを言いなりにしてるんだ」

「本気で言ってますか」

水戸は真太郎に向き直って、

「見張るんだ。準備の間、テラさんと武尊がどんな話をしてるのか」

「なに言ってるんですか」

真太郎は開いた口がふさがらなかった。

「なんにも解決できないくせしやがって。せめて張り込みぐらいはやれよって言ってんの」

詰め寄った水戸に、真太郎は慌てて、

「無理です。だって僕はピンクで出演するんですよ」

水戸はその言葉ではじめて気づいたように、舌打ちして唇をかんだ。

「僕だって準備があるんですから」

水戸は病的に何度も舌うちしながら、

「うまい口実見つけおって」

そうしてため息を深くついた。

「じゃあ俺が隠れて張り込みするしかないじゃないかよ」

意を決したというよりも、どうしてもそうしないわけにはいかないとでもいうような妄執を目に宿した水戸は、口を一文字に結んだ。

「いや、でも、隠れる場所なんかここには」

ごく当たり前の疑問を口にした真太郎に、水戸の目がおかしそうに歪んで、

「おぬしの目は節穴か」

そう言って部屋の奥の暗がりに目をやった。

真太郎は何を言わんとしているのかすぐには理解できなかった。

「無理でしょ」

答える代わりに水戸はずんずん悪役たちのコスチュームの下がったハンガーに歩み寄って物色し、上半身うろこで覆われて、彫像のような顔をもつマスク一体型のコスチュームを引っ張り出した。

「こいつでいい」

それってたしか、と真太郎は記憶を手繰りよせ、

「ポセイドン大魔王です。僕が小学生ぐらいのころのショーで見た覚えがあります。けっこう古いやつです」

「うんちくはいいから手伝え」

すっかり硬くなった素材を無理やり伸ばして両の足を突っ込む。老朽化したコーティングがはがれてぼそぼそと落ち、すえたウレタンとゴムの匂いが立ち昇ってくる。

それもいとわず内部に仕込まれたサスペンダーを肩に回して、全体を引っ張り上げるようにして身に着けていく。

真太郎も表側から引っ張りながら手伝うしかない。水戸はヘッド部に頭を近づけるやいなや、

「テラさんの匂い」

そんなことをつぶやいて、顔を埋めるように頭を突っ込んだ。

そんな古いもの匂いなんかするはずないと否定するのも憚られ、真太郎は黙々と手伝うしかなかった。

両方の手を突っ込んで、背中の〝皮〟を後ろから引っ張って、どうにかチャックを上げようとするが、

「水戸さん。これ、き、きついです」

「いいから閉めろっ」

有無を言わさぬこもった声に、渾身の力で引き裂けそうな背中を合わせ、何とかチャックを上げ終わることができた。

着せ終わって一歩下がった真太郎は息をついた。あの図体が、よくも入ったものだ。

「テラさんが戻ってくる。行け」

ポセイドン大魔王は踵を返し、ほかのコスチュームが並ぶところへぎこちなく歩いてゆく。

「大丈夫ですか?」

真太郎がそう言ったのも無理もない。きついコスチュームに胸部が押さえつけられているのか、わずかな空気穴から供給される空気が薄いのか、ほんの数歩足を踏みだしただけで、荒い息づかいが聞こえてくるほどなのだ。

「大丈夫だ。行け」

昼食から帰ってきたと思しきメンバーたちの声が、廊下に響き始めた。

足を止めている真太郎の様子がうかがえるのか、ポセイドン大魔王は、

「行けって! 見つかったら元も子もないだろ」

真太郎は足をもつれさせながら部屋を出た。

急いでドアをしめ、角を曲がると、間一髪でテラが戻ってきた。

真太郎は自分の楽屋に戻った。

次のステージは間もなくだ。

ピンクのコスチュームを用意し、支度をはじめようとするが、なかなか手がつけられないのだった。

真太郎が出ていく音を背中に聞きながら、目指す場所にたどり着いた水戸は、居並ぶコスチュームをかき分け、楽屋のドアの音に動きを止めた。

入ってくる足音で、水戸はすぐにテラだと判った。

間もなくまたドアが開いて、もうひとつの足音と、間髪入れず鍵を閉める音がする。武尊だろうか。

水戸は背を向けた状態で動きを止めてしまったので、音でしか状況を測れない。

息を殺してゆっくりと体の向きを変え始める。

二人はこちらには気づいていないようだ。

着替えを始めたのか、動いている気配を感じるが、会話は全く交わされていない。

それはよほど意思の疎通がとれているか、口もききたくないかどちらかだ。

ますます気になった水戸は、無理に身体をひねった。

ガタン!

音がしたような気がして、水戸は息を殺して、動きを止める。

二人の着替えの音は続いている。

幸いにも気づいていないようだ。

水戸はまたゆっくりと、身体の向きを変え、どうにかコスチュームの覗き穴を、テラたちの居るスペースに向けることができた。

しかし、相当無理な体勢を取ったうえに極度の緊張を強いられ、水戸の身体は大量の酸素を欲していた。
にも関わらず、空気穴から取り込める外気は充分ではない。

呼吸のリズムが荒く、小刻みになってゆく。

覗き穴から確認できるのは、テラらしい人物の足元だけだ。

もっと見たい水戸は、身体をずらして視野を確保しようとする。

キャプテンコンゴーとエクスレッド、立ち上がって接近して作業を続ける二人は、お互い手助けをしながら着替えているようだ。

水戸は呼吸をますます速めながら、二人の姿が見えるように身体を無理にねじるようにして首を伸ばした。

徐々に二人の全身像が見えてきて、水戸は小さい目は限界ぎりぎりまで見開かれた。

小刻みに繰り返す水戸の呼気がふいに止まった。
その目は何度もしばたかれ、

――そんな。

こと、あっていいのか。

水戸の口がうわごとを吐き出すように動いた。

そして、いま目にしている光景は幻なのだといわんばかりに、白くかすんで、薄れていった。