千秋楽の前日。
〝前楽〟と呼ばれる日だ。
祭りの終わりは間近に迫っている。
ステージのパフォーマンスも、心なしか寂しさをにじませている。
「どうもお世話になっております」
十一時の公演のあと、楽屋を訪れる面会客の中に、未緒の伯母の姿があった。
「明日はラクビだからチケットもソールドアウトでしょ。デマチの子もどんどん増えてね。すごくばたばたするって美鶴に聞いたもんだから。私は今日が最後なんです。バクステにお邪魔するのも今日が最後」
〝楽日〟〝ソールドアウト〟などと、にわか覚えの言葉を嬉しそうに使う伯母、美知枝は、スペシャルステージ初日に来場して以来、たびたび劇場に足を運ぶようになっていた。
今や顔パスで楽屋に通される存在だ。
「カオパスなのにワンパターンのガクヤミマイですいませんけど。みなさんで召し上がってくださいな」
地元の商店街の名物だという今川焼を人数分差し入れるのもすっかり恒例になっている。
「いつもすいません」
「伯母さんの今川焼が食べられなくなるって思ったら寂しいですよ」
メンバーの言葉は本心も混じっているようだ。
美知枝はそれがうれしかったのか、
「だったら美鶴が卒業しても、わたし、また来ちゃうから」
「ホントですか」
「だって私すっかり、みなさんのファンになっちゃった」
そう嬉しそうに言ってから、こう付け加えるのだった。
「でも変身前と変身後がちがう人っていうのは・・・」
そこまで言って人差し指を口の前で立てて、はしゃぐ美知枝。
未緒はあいまいな笑みを浮かべ、会話には加わりはしない。その代り、シャワー室から武尊が濡れた髪で出てくると、自然と目で追ってしまっている。
「それじゃあ私はこれで失礼します」
未緒と目であいさつを交わし、美知枝は楽屋口のドアを開けた。
「未緒の伯母さん」
楽屋口の外から美知枝を呼び止めたのは真太郎だった。
「あら。見かけなかったからどうしたのかと思ったわ」
「ちょっとお聞きしたいことがあるんです」
首をかしげる美知枝に、真太郎は言った。
「飛葉辰仁さんの事です」

「どうして辰仁さんの話を」
劇場から少し離れた喫茶店に入った真太郎は美知枝の疑問に、
「前にキャプテンコンゴーの人に会いましたよね?」
美知枝は頷いて、初日にご挨拶したわと言う未緒に、
「あの人が、飛葉辰仁なんです」
美知枝は理解できないような顔をして、え? と言った後、
「じゃあなんであの時、着ぐるみなんか着てたの? 脱いでくれたら分かったのに」
そういった後すぐに、ちょっと待ってと手を突き出して、ハンカチを取り出して額をぬぐい、切りだした。
「美鶴はそのこと知ってるの?」
「あの人が、『飛葉辰仁』という人だってことは、知ってると思います」
美知枝は、ああ、と言った後、
「じゃあ、それが父親の名前だっていうことは覚えてないのね。小さいころのことだから」
「そうだと思います。実の父親が目の前にいるなんて想像さえしてないでしょうから、そこに考えがいたることがないんでしょう」
「ってことはなによ。美鶴は、父親と一緒に舞台に出てるって事?」
「そういうことになります」
「それを美鶴は知らないのね」
頷く真太郎。
「じゃあ、辰仁さんが私に素性を隠したりしたのも」
「未緒に自分の正体を知られたくないからだと思います。おそらくテラさん、いや飛葉さんも、未緒が自分の娘だってことを知ったのは、ごく最近なんだと思います」
「どうして知られたくないわけ?」
「それをお聞きしたかったんです。何か思いあたることはありませんか」
二杯目のコーヒーがテーブルに運ばれてきた。
美知枝は、記憶をたどりながら、自分の知るテラの事をぽつりぽつりと語りだした。
「私の妹と結婚した辰仁さんは、妹の両親に嫌われていたわ。妹は教員で、撮影所見学に行ったときに辰仁さんに出会ったの。辰仁さんはアクションスターを目指してて。妹の両親は、そんな浮ついた稼業についているものに嫁がせるわけにはいかないって言ったの。だからほとんど駆け落ちみたいにして」
そこまでしゃべって、
「ああ、アクションスター。そうか。だったら今この舞台に出ていたとしてもおかしくなかったのね」
美知枝の声がすこしばかり、感じ入ったような響きになる。
「美鶴がこの舞台に出ることになったのも、なにかのめぐりあわせね。きっと」
休憩時間は長くない。
感慨に浸る美知枝を促すように問いかける真太郎。
「未緒のお母さんと飛葉さんが別れた理由は聞いていますか」
「そんな立ち入ったこと」
美知枝は首をふってから、少し考えて、
「妹は美鶴を連れて、辰仁さんと暮していたアパートを出て別居状態になったの。それからしばらくしてから妹は悪性のリンパ腫にかかって亡くなった。私はちょうど、旦那と別れて実家に出戻ってたもんだから、実家に美鶴を引き取ったの。その時、辰仁さんと話をしたと思うんだけど、結局、両親がほとんど強引に美鶴を引き取った感じになってしまったから」
「たぶんテラさんは、未緒が自分を恨んでるんじゃないかって。そう思ってるんじゃないでしょうか」
「どうしてよ?」
真太郎はわからない、と首をふってから、
「ただ前に、未緒は母親だけじゃくて、父親の事も死んだって言ってたんです」
そうなの・・・。
そうつぶやいた美知枝は、ああっ、と急に顔を覆って、
「ちょっとあたし、今日も美鶴に会うのよ。あの子が帰ってきて、わたしどんな顔したらいいのよ」
「明日でこのステージは終わります。とりあえずそれまでは何も言わないでいただけますか」
「そうよね。今日は、美鶴に私、何も言わないわ」
ああ困った、こういうのホント、どうしたらいいのかしら、などとつぶやいて、真太郎の顔をじっと見る美知枝。
「あなたの携帯電話の番号を教えてくれる?」
真太郎が美知枝に番号を告げると、
「ぜんぶ終わったら会いたいわね。辰仁さんにも」
美知枝は帰り支度をしながら、そんな独り言をつぶやいた。
劇場に戻った真太郎は、四番楽屋のドアをノックした。
聞きたいことはいくらでもあったはずなのだが、テラが顔を出したとたん、真太郎は言うべき言葉が見つからなくなった。
それは部屋の奥に武尊の姿をみとめたこともあったのであるが。
テラは何か言いたげな真太郎の表情に感じるものがあったのか、
「いくか? 今日」
と、親指と人差し指で杯の形をつくってしゃくって見せた。