第四章 走れミオ! その愛を信じるなら

第46話 人生の設計

わるもn

夕映えに色づく商店街のメイン通りを一本中に入ると、古い家がならぶ住宅街だ。

その中ほどで、なんの前ぶれもなく、薄い桃色に灯るぼんぼりが目に飛び込んできた。

こんなところ、普通だったら絶対に素通りしている。

テラの先導で、すりガラスの引き戸についたベルが淋しげに鳴って、カウンターの店主が、いらっしゃい、と言ったあと、あら。と、その声がいっそう華やぐ。

「小仏さん?」

カウンターに白衣で立つこの店の主に、真太郎は奇声をあげた。

「こう見えて人生設計ちゃーんと考えてんだから。調理師免許は取得してたし、懇意にしてくれてる社長さんが店を任せたいって言ってくれて。やめるって言った時にはもう店のオープンは決まってたのよ。あたしったら悲壮な顔してたように見えた?」

言いながら先付とグラス、箸を真新しいカウンターに手際よく並べてゆく小仏に、真太郎はいさかか緊張している。

「お前さんがいつ来てくれるか、待ってたんだよ」

不服そうな小仏の言葉に、真太郎は真横のテラに座りなおして、

「テラさん、どうして教えてくれなかったんですか」

「ここは密談専用の店だからよ」

「うちを勝手に怪しい店にしないでもらえる」

テラは小仏の文句を穏やかな顔で聞き流すと、早くも本題に切り込んできた。

「で、お前は何を知ってるんだ?」

真太郎は、グラスに注がれたビールを一気に飲み干すと、

「テラさんは、未緒の」

そこまで言ったものの、その先を言いあぐね、小仏がもう一杯注いでくれたグラスを右に左に持ち替えたりしているとテラは、

「父親だよ」

と、拍子抜けするほどあっさり認めた。

「伯母さんが来ただろ。その時、未緒の本名を聞いて、そういや年も合ってるし。こんなことがあるのかよって思ったけど」

うつむいて絶句したままのテラを横目に見つつ、真太郎は小仏に訊いた。

「知ってたんですか」

小仏はみょうがを刻みながらこっくり頷く。

「知ってるのは小仏さんだけですか」

「同期の連中は知ってるよ。イノと、磯貝ちゃん」

磯貝の名前を聞いて真太郎は、あ、と思い出した。

「キャットウォーク、見ちゃいました」

テラは、見ちゃいましたか、とつぶやいて、小鉢の青菜をつまみ上げて口に放り込む。

「テラさん、本当に大丈夫なんですか。身体は?」

「大丈夫なわけないだろう。駄目だもう。でも俺は小料理屋の雇われもできないし、照明スタッフにもなれない。やめちまったら、何にもなれないよ俺は」

「父親にはなれるだろうよ」

小仏が口を挟むと、テラは力なく、

「ちっとも笑えないんだよ」

真太郎は椅子をずらしてまたテラに向き直って、

「千秋楽が終わってから、未緒に本当の事言ったらいいじゃないですか」

「俺は今、美鶴に尊敬されているんだよ。足向けて寝られないって言われてるんだよ」

そう言ってテラは箸を小鉢の上に置く。

「それは俺が、正体を隠してるからだ。本当の事を知ったら、あいつは軽蔑する。どころか、憎むよ、俺を」

真太郎は怖れと動揺をここまであらわにしているテラを見るのははじめてだった。


「親父だってことを打ち明けて、憎まれるぐらいなら黙ってたほうがいいね」

「それでいいんですか」

テラはすかさず「いいに決まってるね」と言ってグラスを一気に空けた。

「実際に今・・・。いや、なんでもない」

何かを言いかけてテラは口をつぐんだ。

「今なにがあるんですか」

真太郎がテラの顔を覗き込むと、テラは目をそらせて、

「なんでもネエって言ってるだろうが」

乱暴に言った後、テラはつぶやくように、

「俺はあいつとイクコを捨てたんだ」

「テラの奥さん、郁子さんっていうのよ」

小仏が手を止めて注釈を加える。

「全部ひっくるめて俺が悪いんだ」

そしてやけになったような吠え声で、

「なにより俺がレッドになったのが悪い」

真太郎は、未緒が「両親とも死んだ」と言っていたことを、また思い返した。

小仏は、小さなグラスにもたれかかるようにうなだれたテラに目を落として、

「この人はね、レッドにしがみついたのよ」

それを聞いてテラは顔をあげた。

「あっちの両親が認めてくれなかった。認めてもらうには、レッドになるしかないって思った。それで必死にやって、どうにかレッドの中身になったんだ。結婚した年だ」

グラスからは泡の層がすっかり消えている。

「番組オープニングのクレジットに名前が載ったのを見てあいつは喜んで両親に電話したよ。それから俺は、レッドを続けることがあっちの両親に認めてもらうことだって思い込んじまった」

テラは何度も自分で頷いて、

「レッドを守ることが家族を守ることだって、そう思い込んじまった」

その目は、グラスに立ちのぼるひとすじの泡を見つめている。

「新しいシリーズがはじまるたんびに、技を完璧に体得した。誰からも文句を言われないように必死にトレーニングもした。美鶴が生まれて、俺はもっともっと頑張ったよ。レッドを続けてれば、家族を守れる。そう思い込んだ。だが体力は落ちてくる。トレーニングもしんどくなって、そのうちに、家族を守るためにどうしてこんなに必死になってるんだなんて思うようになってきちまって、だんだん家にも帰らなくなっちまった」

言葉を切って、ぬるくなったビールを飲み干す。

「どんどん負担になってきた。郁子のことも美鶴のことも。久しぶりに帰ったら郁子が、もうレッドなんてやめたらって、そういいやがった。カーッとなっちまった。お前たちのために俺はレッドをやってるのに」

小仏が山芋を摺る静かな音だけが店の中に響いている。

「気づいたら手をあげてた。長期のロケから帰ったきたら、家財道具と一緒に郁子も美鶴もいなくなってた。自業自得だろ」

テラが顔を伏せた。こもった声が、抱えた頭の下から聞こえる。

「レッドはなんにも悪くない。悪いのは中に入っていた俺だ」

注いだばかりのグラスが空になっている。真太郎はテラのグラスにビールを注いだ。

「気がつかなかったんですか。撮影現場で未緒に会っても」

テラはグラスを一気にあおって、

「気づくわけないだろう。あんなところで娘と再会するなんて誰が想像するよ」

「面影はあったんでしょ」

テラは少し笑って、

「なんの想像もしてない相手に、面影を見たりなんかはしないんだって」

「あたしらぐらいの年になると、若い娘の顔の区別だってつかないんだから」

小仏が手を止めて言うとテラも同意を求めるように、

「だいたい、ガキの頃からずーっと会ってないんだぜ」

アルコールで口が回り始めていたテラは、急に歯切れが悪くなり、

「いや、別れてから一回だけ、会ったのかなあ。いやあ、あれは会ったっていうか」