第四章 走れミオ! その愛を信じるなら

第47話 胸騒ぎの前夜

わるもn

「なんなんですか」

真太郎の問いかけに、

「ゴンバットのときだ」

「第二十二弾、突破軍団ゴンバット。テラさんの最後のレッド、ですよね」

真太郎の補足に、テラは頷いて、

「ロケがさ、たまたま郁子と美鶴が移り住んだ団地の近くだったんだ。機材のトラブルで撮影が中断になって、だからちょっと行ってみるかって思いついちまって。レッドの格好で行きゃあ郁子も会わせてくれるんじゃないかって。マスクは外してカバンに入れて、あとはコスチュームが隠れるオーバーコートみたいのを借りて、まあ、なんていうか、変態みたいな恰好になって行ってみたんだよ」

「会えたんですか」

「平日でよ。郁子は働いてたから家にいるわけないんだよ」

でもな、とテラは言葉を切って、

「団地の公園に美鶴がいたんだ。ジャングルジムの上にいた。その下を野良犬がうろうろしてて。急いでマスクかぶってコート脱いでレッドになって、美鶴を抱きかかえて逃げた」

「それって」

真太郎の声が上ずった。

それは以前、未緒から聞いた話と呼応していた。

「でもわからないんだよ。実際、あのガキが本当に美鶴だったのかどうか」

苦笑いを浮かべたテラの横顔を真太郎は凝視した。

自分の美化された記憶が、テラによるものだと知ったら未緒はどう思うだろうか。

「その話、未緒にしてあげてください」

強く言う真太郎にテラは、頷くでもなく不安げな笑みを浮かべるだけだ。

小仏が、慈愛に満ちた声で付け加える。

「それが最期だったのよね」

「あれが美鶴だとしたら、その時が最後だったんだけど」

「レッドも最期だったんでしょ」

テラは口につけていたビールのグラスを離して、

「美鶴に会った後、急にやる気がなくなちまって。撮影ドタキャンしたりして。急に身体も動かなくなってあっという間にクビになった。途中降板だ。その時、代わりにレッドに抜擢された新人が、武尊の野郎だよ」

武尊の名前を口にしながら、テラは不愉快そうな色をにじませた。

真太郎は自分の感情を抑えて問いかけた。

「テラさん、未緒が武尊さんのこと気になってるっていうの、気づいてないですか」

テラが目を伏せた。

「え、まあ、それは」

テラの言葉は続かなかった。

視線は宙を漂っている。

テラもそれには気づいているのだ。

耐えられないのだ。

感情を抑えていたはずの真太郎も感情をあらわにして、

「いいんですかっそれで」

消えていたグラスの泡が水面にまたうっすら浮かぶほど、真太郎がグラスをカウンターに勢いよく叩きつけて詰め寄った。

しかしテラは苦い顔で、

「それは、実際、俺のせいみたいなところもあってな」

妙に歯切れが悪いテラに、

「は? なんですかそれは。どういうことですか」

真太郎が詰めよっても、テラは、グラスのふちをなぞっているだけだ。

「まずいんじゃあないの」

小仏が口をはさんでもテラは固まったままだ。

「あんただって武尊の噂ぐらい知ってるだろ」

「イヤというほど知ってるっ」

そうテラは大声で言ってから、小さく息を吐いて、

「だから、早いとこ、誤解を解かないといけないって思ってる」

テラの意味不明な言葉に、真太郎は眉間にしわを寄せ、

「どういう意味ですか。誤解ってなんなんですか?」

なお一層声を上げる真太郎に、テラはキッと顔を上げ、

「美鶴は俺の娘だぞ。あんな野郎にそそのかされるわけないだろう」

声を荒げたテラは、真太郎に向き直って、

「それよりお前、美鶴の事をどう思ってるんだよっ」

口ごもった真太郎の代わりに小仏が答えた。

「そんなのバレバレよね」

テラは空になった自分のグラスにあふれんばかりに手酌すると、

「今のお前じゃ認めるわけにいかあああんっ。お前みたいな浮わついた稼業の男を父親として認められると思っとるのかああっ。顔洗って出直して来おいいっ」

一気にまくしたてて一気にグラスを飲み干した。

「あんた、それ言いたくてしょうがなかったのと違う?」

小仏のせせら笑いもテラの耳には入らない。

「いったいどの口がそんなこと言えるんですか」

真太郎は心の底からあきれた声をあげる。

「郁子を幸せにできなかった俺の口が言ってるんだ。ものすごく説得力あるだろう。お前が親父の会社にでも入ってまともな仕事に就くっていうんなら、少しは考えてやってもいいがな」

「そんな、いっぱしのお父さんみたいなこと言っていいと思ってるんですか。そんなにお父さんぶりたいんなら、まずは未緒にお父さんって呼んでもらってからにしてもらえませんかね」

おもむろにテラは立ち上がった。

真太郎の首に腕をかけると、勢いよくサバ折りにした。

しかし真太郎も、以前のひ弱な真太郎ではなかった。

テラの腕力に逆らって、すり抜けるとバックに回ってマウントポジションを取らんとする。

並んだ椅子が蹴散らされる。

「やめろおおおおっ。てめえら」

野太い声に二人が動きを止める。

小仏が出刃包丁を握り、肩を上下に揺らせている。

「できたばっかりの店で何してくれてるんだよっ」

かちこちに押し黙った二人に、小仏はかつての小言モードを復活させて、

「もう看板だよ。あんたたち、明日が千秋楽っていうの忘れてんじゃないのか」

「あそうだ・・・。千秋・・・楽、見に・・・きて・・・くだ・・・さいよ」

真太郎がぜえぜえ息を切らせながら小仏を誘うと、

「あたしゃもうあっちの世界には未練はないんだ」

テラは息を整えながら、

「くそ坊主、劇場に戻って飲み直しだ。朝まで飲んでそのまま千秋楽いくぞ」

「それはちょっと」

真太郎が散らばった椅子を戻しながら言うと、テラは一層声を張り上げて、

「お前、こういう経験を積んでこそいいプレイヤーになれるんだからな」

真太郎は思わず、

「だってテラさん、鍵持ってないじゃないですか」

すぐにテラはカバンのチャックを開けて内ポケットに手を入れ、あれ。と素っ頓狂な声をあげる。

「外のポケットじゃないの」

面倒くさそうに鞄の外側についてポケットに目をやる小仏に、

「外になんか入れるわけない」

言いながら、念のために外付けのポケットに手を突っ込んだテラが動きを止めた。呆然とした顔のまま鍵をつまみだした。

「もうろくしてるんじゃないよ」

テラは憤慨と怪訝をないまぜにしながら、

「俺は絶対に外のポケットにはいれねえよ。ほら」

テラがバッグの外ポケットに右手を深く突っ込むと、ポケットの隅から親指が顔を出した。

「知らないで小銭入れててて知らないうちにばらまいてた。それから絶対、ここに鍵なんか入れるわけないんだよ。ああ?」

鍵を改めて見たテラが奇妙な声をあげた。

「この鍵、違うな」

真太郎が顔を寄せる。鍵を凝視していたテラは呆然と、

「劇場の合鍵の番号、〝イゴヨロシク〟なんだけど」

それは鍵に打刻されたシリアルナンバーのことらしい。

小仏が、ぶつぶつと1、5、4、6・・・と数字に当てはめていく。

「だけどこいつは」

テラは呆然としたまま、シリアルナンバーを読み上げた。

「〝シニゴロヤナ〟になりやがってる」

4、2、5、6、8・・・と小仏が口の中で唱える。

「誰かが・・・すり替えた・・・とか? って?」

小仏の視線を真太郎は感じながら、

「そうじゃなかったら、こっそり合鍵を作って戻すとき、コピーの方を間違って戻したってことも」

「そんなこと誰が」

小仏のつぶやきに、テラは、真太郎と同じ思いに至っていた。

「もしそうなら、そんな事をするやつも、しそうなやつも、できるやつも、ひとりしか・・・」

突然、真太郎の携帯電話が鳴った。

ディスプレイを見ると未緒の伯母、美知枝だ。

「もしもし」

美知枝の声は不安の色をのぞかせていた。

「ねえあなた、もしかして美鶴と一緒?」

テラはまばたきも忘れ、応対をする真太郎を凝視している。

「美鶴がまだ帰ってないの。何も連絡がなくて帰らないっていうのはあの子あんまりないから。明日大事な楽日でしょ。あなた、あのあと戻ってから美鶴に何か言った?」

「言うわけないです」

不安に駆られる美知枝をなだめ、電話を切った真太郎の中で抑えきれないざわつきが沸き立っていた。

すり替えられた楽屋口の鍵と、帰宅していない未緒。

どうやらテラも、同じ胸騒ぎを覚えているらしい。

「悪いコボさん。今日つけといて。これからタクシーで戻らないといけなくなった」

真太郎が慌てて、

「僕がカードで払いますっ」

「カード効かないんだよ」

怒ったような声を出した小仏をしり目に、いくぞ、と真太郎の耳に声が届いた時には、テラはもう店を飛び出していた。