第四章 走れミオ! その愛を信じるなら

第50話 見参

わるもn

振り返った美緒の背後に――、

歓喜なのか、怒りなのか、真っ赤な歯茎をむき出しにした武尊が、小道具のエクスブレードを振り上げる姿が目に飛び込んできた。

未緒の視線が武尊の足元に注がれた。

探していた赤い球が転がっている。

武尊の踏み出したつま先が、その球を踏みつけた。

一瞬ぐにゃりとつぶれた球は、弾力を蓄え、つま先からはじけ飛び廊下の壁でバウンドして、武尊の眉間を直撃した。

それは痛みを覚えるようなものでなかったが、一瞬、武尊はなにがおこったのかわからず、目をつぶって、はげしくかぶりを振った。

その隙に未緒は、廊下に転がった球を拾って、ポケットに突っ込みながら逆方向に走り出す。

体勢を戻して走り出した武尊は、唸り声をあげながら鉄階段のところで追いつき、未緒の目前に廻り込んでブレードを振り回した。

階段の欄干が鈍い音を立て、未緒はとっさに階段を駆け上がった。

武尊は吠え声をあげて追いかけて来た。

それは狼の遠吠えのごとく闇を残響で満たす。

再びキャットウォークにたどり着いた未緒は、降りられる場所はないかと目を凝らす。

客席の方向には三つの張り出し廊下が伸びてはいるが、ワイヤーで降下するために途切れている。

奥に何かがあるらしいことに気づいて近づいていく。

段ボール箱でできた衝立の向こうに作られた奇妙なスペース。

そこに並んだケア用具や包帯、サポーターなどを見やるうち、棚の奥に置かれているものに目を奪われた。

見覚えのある、首のない人形。

未緒は迫っている事態も忘れ、人形に手を伸ばした。

それを待っていたかのように視線の向こうに見えた、ぎらつく目とむき出しの牙に、未緒は飛びのいた。

箱の陰から武尊が全身を現した。

狼の声をあげて、未緒ににじり寄っていく。

その時、突然、武尊に何かが覆いかぶさった。

「真太郎っ?」

未緒は突如現れた真太郎に混乱しながらも、加勢しようと、そこに置かれていたスポーツドリンクの二リットルペットボトルを持ち上げて武尊に振り下ろした。

しかし、突如向きを変えられて、そのこん棒のような凶器は真太郎の肩を打ちつけてしまった。

「違うでしょおおっ」

「ああっごめんっ」

うめき声をあげた真太郎は、武尊にいったん振りほどかれたものの、あああああと声をあげて拳を固め、武尊のこめかみ目がけ、裏拳を叩きつけた。

意外なことに、その一撃で武尊は吹っ飛んた。

その隙に真太郎は未緒の手を掴んで走り出す。

「待って、そっちはっ」

向かった先は、客席方向に向かう途切れた渡り廊下だ。

安心してと言わんばかりに、いっそう力強く手が握られる。

二人が走っていったその突端は、未緒が懸念した通り途切れていたが、そこには巻かれたロープが置かれていた。

「磯貝さんが下から荷物を引き上げるのに使ってる。フライング用のワイヤーと比べれば強度がないけど。きっと大丈夫」

真太郎は水戸の代わりに、磯貝の手伝いをたびたび行っていたのだった。

「お弁当引き上げるのにも使ってるけど」

そんなことを言いながらロープの端を欄干に結ぶ。

脱いだ上着を手の平にぐるぐると巻く。

降下の際の摩擦熱を防ぐ皮手袋の代わりだ。

結んだロープをいったん強くひいて強度を確認してから、じっと未緒の目を見つめて、

「僕につかまって」

未緒をしがみつかせると、大きく息を吸って、ゆっくりと降下しはじめる。


半ばほどまで降りたところで、未緒がしがみつきながら声をあげた。

「駄目。ロープがこのままだと、向こうも降りてきちゃう」

真太郎がしまったとつぶやくと同時に、階上で結んでいたロープがほどけ、三メートルほどの高さから二人は客席廊下に落下した。

未緒は抱えられていたのでダメージを受けることはなかったが、足から落ちた真太郎は顔をゆがめる。

「大丈夫?」

「心配しないで。奈落を閉めにいかなくちゃ」

武尊が飛び降りてこられないようにするためだ。

真太郎と未緒は階段状の客席を駆け下りた。

真太郎は足を引きずっている。

奈落蓋を開閉するハンドルを二人で握り体重をかけて蓋を閉めはじめた。

「急いでっ」

「頑張って」

「もうちょっと。うううっあああ」

真太郎が声をあげるやいなや、ズザン! と音がした。

武尊は蓋が閉まりきるぎりぎりのところに落下してきたのだ。

わずか一メートルたらずの狭間に落下した武尊は、すれすれのところで蓋に右足を強打して叫び声をあげた。

マットの上の武尊に真太郎が覆いかぶさって、早く逃げてっ、と未緒に叫ぶ。

しかし、弾かれたように走りだした未緒は、どういうわけか、またキャットウォークへの鉄階段を駆け上がっていく。

「ちょっとオ! そっちじゃないでしょおおおおお」

叫びむなしく、武尊は真太郎をあらん限りの力ではねのけ、唸り声をあげながら、無事な左足でジャンプするようにして鉄の階段を昇っていく。

三度、キャットウォークにたどり着いた未緒は、まっすぐに隅のスペースへ走った。

棚の人形を手に取ると、ひっくり返して足の裏を凝視した。

未緒は身体に冷えた空気を取り込もうとするように大きく呼吸した。

そこには、幼いころの自分の文字で〝みつる〟と書かれていた。

「未緒っ、逃げてっ」

眼下から、真太郎の悲痛な叫びが聞こえてくる。

未緒が振り返ると、闇にかすんだ階段から、壊れた機械のようなぎくしゃくした動きで武尊が姿を現した。

にやりと笑ったか、その歯が見えた瞬間、視界の端から赤い色をした〝何か〟が武尊に体当たりを食らわせた。

それは、突如現れたエクスレッド。

どういうこと?

未緒は事態が理解できず、ただ呆然と闘いを見つめることしかできなかった。