第四章 走れミオ! その愛を信じるなら

第51話 正体

わるもn

美緒の前に現れたエクスレッド。

しかし武尊は動じる様子もない。

武尊がエクスレッドにキックをみまった。

レッドはよろけて柵に身体を打ちつける。

呆然と佇んだままの未緒に武尊がにじり寄って、手をのばした。

太い腕に取り押さえられた未緒に駆け寄ろうとするエクスレッド。

武尊はぜえぜえ息をしながら、ありったけの声で、

「マスクを取れ」

じっと動けないエクスレッドに、武尊は未緒の首に手をかけて力を込める。

「マスク取って、正体見せろ。エクスレッド」

レッドは、右手を前に突き出して、頷くと、マスクに手をかけた。

未緒の目が見開かれた。


マスクの下から、テラの顔が現れた。

「いい年しやがって、何やってやがる」

武尊が嘲笑交じりの罵声を浴びせる。

と、未緒はまたあのぞっとする〝視線〟を感じて闇に眼を走らせた。

それと同時に、闇の奥からふいに何かが動きだし、レッドのコスチューム姿のテラに体当たりした。

武尊の顔から血の気が引いている。

「お前、なんでいるんだ」

押さえつけていた腕の力が抜けた。

未緒はその場にへたり込みながら顔をあげた。

未緒など眼中から消え失せたような武尊が、ぎくしゃくした足取りで前へ踏み出す。

レッドの脇で腰が砕けたようになっているのは、以前、握手会でレッドのコスチュームを着た真太郎を襲った女だった。

女は、レッドのコスチュームを着たテラを、武尊だと思い込んでいるようだった。

柵に寄りかかっているテラから視線を外さずに、

「逃がさないんだから。わかってないのよ。逃がさないんだから。わかってないのよ」

そんなことを、まるでメリーゴーランドでも巡っているかのようにつぶやいている。

「おい」

武尊が呼びかける。

「その人は違う。俺はこっちだ」

その言葉が届いていないかのように、女はなおもレッドの姿のテラに、まるで呪詛のように、

「あなたわたしから逃げられると思ってるの。逃がさないんだから」

「おいっ」

武尊はいっそう声を張り上げて、

「俺はこっちだって」

その声に、女はようやく武尊に視線を移したものの、その目はうつろなままだ。声の主が誰なのかは理解していないようだ。

「やるなら俺をやれって言ってるんだ」

「なにあんた」

武尊がにじり寄ると女は後ずさって、

「誰だよ。くるんじゃないって言ってるのよ殺すよ」

女はさらに後ろにさがってゆく。

「危ない」

未緒が小さく叫んだ。

女は、背中に柵があたってもなおも後ろに下がろうとしてのけぞった。

柵を背に上半身が傾いて、片足があがった。

武尊が駆け寄って引き戻そうとしたが間に合わず、女は階下に落下してゆく。

武尊は身体を猫のようにひるがえして柵をジャンプした。

ほんのわずか、女よりも遅れた落下だったが、もがきながら女の体の一部をとらえ、引き寄せるようにして一緒になった。

足を引きずりながら階段を昇っていた真太郎は、素通しになった鉄柵の向こうを、ひとかたまりになって落ちてゆく二人の姿を目撃した。

まもなく、どん、と鈍い音が響いた。

武尊はわずかに開いた奈落の隙間、マットの上に女を投げ落とし、自分は奈落板の硬い盤面に身体を叩きつけたのだった。

真太郎は慌てて向きを変えて階段を駆け下りた。

女はマットの上で、寝息のような安らかな呼吸で横たわっていた。

「武尊さんっ」

奈落板の上に奇妙な形で身体を投げ出したままの武尊は、薄目を開けてかすかに唇を動かす。

真太郎が顔を近づけると、とぎれとぎれの声が、

「・・・マット無し落下スタントの最高記録・・・知ってるか」

真太郎は思案して、

「たしか香港映画で、時計台から落ちたアクションが、三五フィートって」

「一〇.七メートルか・・・俺は・・・」

「キャットウォークからここまでだと、だいたい一〇メートル」

くやしそうに武尊は舌打ちをして、

「・・・いい子は真似すんな」

そう言って親指を立ようとしたが、今はわずかに動かすことしかできなかった。


未緒とテラは、キャットウォークからその様子を見下ろしていた。

「あ、痛」

額をおさえた未緒の手に血が付着していた。

いつ怪我をしたのか覚えていない。さっきまで痛みなど一切感じていなかったのに。

未緒を見たテラは、奥のスペースにすたすたと歩いていく。

そこに躊躇はなく、どこに何があるのかがわかっている様子だ。

包帯と消毒液を取ると、手際よく未緒に応急処置を施してゆく。

その行動は、この場所のあるじががテラであることを示していた。

「かすり傷だ。大したことない」

テラの声をぼんやりと感じながら、未緒はここにあったレッドの人形の事を考えていた。

武尊が救急車を呼ぶことをかたくなに拒否したため、真太郎が付き添ってタクシーで病院へ搬送することになった。

朦朧としたままの女も一緒だ。

真太郎たちが出て行ったあと、テラと未緒が残された。

「あの」

呼びかけられて、緊張の面持ちでテラが未緒を見ると、

「ここの鍵、持ってるんですか」

テラは頷いた。

「私の楽屋の鍵も、開けられるんですか」

テラは慌てて、

「勝手に開けたりなんかしてない」

未緒は、ちがうんです、と首をふって、

「いま、楽屋で休みたいんです」

テラは立ち上がって、未緒の楽屋を開けてやった。

未緒はわずかに頭を下げると、楽屋に入っていった。

すぐに中から鍵のかかる音がした。

未緒の楽屋から離れてゆくテラの背中は、今にも消えてなくなりそうだった。


楽屋に入った未緒は、その場でばたりと倒れそうになるのをどうにかこらえた。

キャットウォークから密かに持ってきたレッドの人形を取り出し、化粧机の上に安置した。

それをじっと見つめながら、未緒は冷たい床にしずかに横たわった。

顔を人形に向けたまま、未緒は目を閉じた。

深い海のそこに横たわるように、いつまでも眠っていたかった。

すでに空は白み、観覧車の明かりが薄くにじんでいた。