第四章 走れミオ! その愛を信じるなら

第52話 千秋楽の朝

わるもn

千秋楽公演のためにスタッフとキャストが劇場入りしはじめた。

真太郎が舞台監督の名越に連絡をしたのだろう。武尊のケガの件は、各パートのチーフの耳に入っているようだった。

しかしそれ以外の多くの関係者は、劇場にきてはじめて、前代未聞の一大事に蒼白になっている。

素顔のヒーローたちも、受け入れがたい現実に険しい顔を崩せない。

やがて、武尊を病院に送り届けた真太郎が病院から戻ってきた。

皆の視線を受けた真太郎は、

「武尊さんは、奇跡的に命には別状はないそうです」

複雑骨折と全身打撲、かかとの骨が粉砕骨折していることを告げたが、忍び込んでいた女については警察に出頭してもらったということ以外は語らなかった。

「再起できるのか」メンバーの声に、

「僕にはわかりません」真太郎は目を伏せた。

「どうする?」

メンバーの声に別のメンバーが答える。

「どうもこうもないでしょう。レッドがいないんですよ。残念ですけど」

ジャージに着替えて奈落ベンチに座っていたテラがおもむろに立ち上がって、スタッフたちの前に進み出た。

視線を集めたテラは大きく息を吸って、言い放った。

「やろうぜ」

力強い響きにも、皆の表情は変わらなかった。

イノさんだけは場違いにも吹き出したが、それさえ一同は見とがめもしない。

「無理ですよ」

名越がつぶやくように言う。

「レッドがいないんだぞ」

鼻で笑った磯貝に、テラは直視して言った。

「レッドは俺がやる」



決意に満ちた立ち姿に、一同はいぶかし気な視線を送った。

またもイノさんだけが明るい笑い声をあげた。

傑作だとばかりに、手まで叩いている。

「お前さあ」

磯貝のあきれ声を名越が引き継いで、

「テラさん、前にレッドはやらないって言いましたよね」

問いにはテラは答えず、ただ見据えるだけだ。

磯貝はさらにいらだったように、

「ワルはどうすんだワルは」

テラは大きく息を吸って、一気呵成に怒号を吐いた。

「キャプテンコンゴーも俺がやるとしか言えないっ!」

空調の音だけがむなしげに響いた。

あまりの意味不明の発言に誰もが呼吸も、瞬きも忘れているようだ。

磯貝の声は、病人にでも接するかのような優しい響きを帯びた。

「テラよ。お前、自分がなにを言ってるかわかってないだろう」

名越も、まるで猛獣でも諭すかのように、

「クライマックスで、レッドとキャプテンコンゴーは戦うんですよ」

そんな言葉にも、テラはなぜか、鼻の穴を膨らせ、わかっているとばかりに小さく頷くのみだ。

イノさんは声をあげこそしなくなったが、にやにやと笑みをうかべつつ腕組みをして、テラの姿を眺めている。

あのお、と真太郎が小さく手をあげる。

「僕が代われるところは代われると思います。テラさんが両方やるって言うんなら、どうしても無理なところだけ、僕が代わりにできることをやります。その間、ピンクはちょっと出られないけど」

真太郎が考えながら言うと、背後から、そんなの冗談じゃないよ。と、聞き覚えのある声が響いた。全員が振り返った。

「小仏さん」

怒ったような顔で立っていた小仏は、ふっと表情を緩めて、手をひらひらさせながら、

「店をあんな出ていき方されたら、気にならないわけないだろ。真太郎がピンクをできないっていうなら、あたしがやってやるよ」

「冗談じゃないぞ」

つぶやいた磯貝はテラに顔を近づけて、囁いた。

「テラお前、自分の身体わかってるだろうが」

決意に満ちあふれたままの表情に磯貝は、ため息をついたあと、力を込めて、

「無理したら身体がバラバラになるぞ」

奥歯をかみしめたのか、テラのこめかみが一瞬動く。

それもまた上等といわんばかりに口の端が上向きになったのを見た磯貝は、自分の中に飲み込んでいた言葉を呼び戻した。

「娘のためにそこまでするのか」

テラの顔が固まった。

「おいっ」

慌ててそれだけ言ったテラの口が、ガラスの中の金魚のように閉じたり開いたりしはじめる。

イノさんと小仏が、渋い顔を見合わせる。

「テラさんに娘さんがいるなんて初耳です」

若手のセフティが目を丸くする。

小仏がせいせいとした高い声で、

「言っちゃったもんはしょうがないね」

イノさんもいら立ったような口調で、

「この際だからお前の口から言っちまえ。お前の娘が誰で、今どこにいるのか」

テラは金魚の口を閉じた。鼻の穴を膨らませて大きく空気を取り込んでから、

「美鶴だ」

空気が急速に薄くなったかのように、一同が一斉に息を吸い込んだ。

素顔のヒーローの四人は、飛び出しそうな目を見開いたまま、硬直している。

「それは、どういうことでしょうか」

春原がタレントの装いをかなぐり捨てた無防備な顔で聞いた。

未緒とは同い年の松崎悠が走っていって、朝からずっと閉まっている女子楽屋のドアを未緒の名を呼びながらノックする。

「女房があいつを連れて出て行った時からほとんど会ってなかった。大人になって初めて会ったんだ」

松崎が仲間の元に戻ってきて、反応がなかったと首をふる。

「あいつの母親は、俺と別れてしばらくしてからガンで死んだ。手遅れだった。俺がいたら手遅れにならなかったかもしれないんだ。美鶴が恨むのも当然だ」

「要するにこいつァ、親父ぶりたいんだ」

イノさんが声をあげると、

「そうじゃないって」

テラはいらだって言った。

「こいつをモノホンの親父にするために、ちょいとみんなで骨折ってくんないか」

もうすでに折った奴いるけどなと軽口をたたくイノさんに掴みかかろうとするテラの強ばった手が、しなやかな手にさらわれた。

春原だった。

その手を強く握って、やります! と大きな声をあげる。

その言葉に三人の仲間たちも口々に、

「やんないなんてありえないっしょ」

「千秋楽やらなかったら終われません」

「最高の千秋楽にしますよ!」

その言葉を待っていたかのように、一気にその場の空気が沸騰した。

皆の高揚感があふれだしたその時、コツコツと靴音が響いて、支配人の山際がやってきた。

「どーもどーも、みなさん千秋楽おめでとう!」

山際は笑顔で言ったあと、小仏に気づいて、

「小仏さん久しぶりだねえ。見に来てくれたんだ」

小仏の手を取って華やかな声をあげる支配人をしり目に、テラは名越に近づいて小声で聞く。

「まさか支配人、武尊のこと、知らないのか」

目で答える名越。

「嘘だろ」

あたりは静まり返っていて、ひそひそ声は逆に目を引いた。

山際のメガネが光を反射した。

「なに、どうしたのよ」

「なんでもありません」

名越の硬い声に、勘の鋭い山際は表情を変えずに聞いた。

「武尊くんは?」

周囲の空気が変わった。山際はかまをかけるように、

「遅刻してたりして。寝てたりして」

そう言った後、んなわけないと自分で受けてみたが、周囲はなごむどころか異様な空気のままだ。

「おいおいおい、冗談じゃないよ」

山際が声を張り上げた。言葉を失った名越と、ただ身動きがとれないテラの代わりに、ほかのセフティが慌てて付け足した。

「武尊さんは楽屋で精神統一してます。声かけたら怒られます」

武尊くんってそんなことするっけ、と独り言ちながら、スタスタと廊下を進む山際。

「あのどこに?」

名越の問いかけにも山際は歩みを緩めようとせず、四番楽屋の前で足を止めて、ドアをノックした。

「武尊くんさあ、居るんだったら、ちょっと」

山際が最後まで言う前にドアが開いて、エクスレッドが顔を出した。山際は慌てて取り繕うように、

「あ、ああ。ごめんね、精神統一のところ。いやそのね、千秋楽だから、ちょっとメインどころの人たちに挨拶だけでもと」

エクスレッドは、山際が言いきらないうちにドアの外に踏み出して、激しいハグをした。

強烈なハグの名残の、ずれた眼鏡の山際は、一同に千秋楽頑張ってねと言い残して、楽屋を去っていった。

四番楽屋にテラたちが走っていくと、エクスレッドはさっさとコスチュームを脱いで、磯貝に戻っていた。

テラが何かを言おうとする前に、磯貝はさっきとは違う表情で言った。

「もう後には引けない。俺たち全員共犯だ」

女子楽屋のドアが開いて、未緒が姿を現した。

誰も未緒にかけるべき言葉がみつかなかったが、名越は極めて事務的に、

「千秋楽公演の準備をお願いします」

未緒は黙って頷いた。

あわただしく動き出した空気の中、磯貝が奈落に駆け込みながら、

「開演を五分、いや、十分遅らせてくれ」

低く鋭く言い放った。